NIWA MAGAZINE

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冬青磁洗  文/小川敦子

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久しぶりの島根へのショートトリップ。

 

島根には、たいてい、人と会い、語らうために訪れる。話をしていく中で、それぞれのうちにあるものが呼応し合って、より研ぎ澄まされて、見えてくるものがあり、それはまた、私にとって、その次に進むための大切な「糧」になる。

 

この日は、松江の陶芸家である原さんを訪れることになっていた。春に立ち上げるギャラリーで行うサロンのために、白磁のカップを依頼しようと思っていたのだった。

 

伺うと、ありがたいことに、昼食の用意をしてくださっていた。透き通った水のような色彩の青磁の器が目の前に差し出される。青磁?てっきり、白磁を作られている方だと思っていたので、内心ちょっと驚いた。そんな私の心のうちを見透かしたように、原さんは言う。「青磁っていうのは、瑪瑙から釉薬を作るんだよ」と。

 

森と水の結晶である、鉱物としての石。何億年もの年月をかけて出来上がるその塊は、まさにアートであり、その土地にしかない「記憶」だと、私は捉えている。宮沢賢治が鉱物のコレクターでもあり、また、そこから受けたインスピレーションから、たくさんの物語を書き起こしてきたと知って、近頃は、暇さえあれば、石の写真ばかり眺めていたので、より一層興味をそそられた。

 

聞けば、瑪瑙を細かく粉塵にしたものを釉薬に混ぜ、そこに火が加わって、化学変化が起きて、あのような色彩と質感が生まれるのだという。「でもさ、本物を見た方がいいよ、絶対」と言って、一枚の大きなポスターを見せてくれる。水仙盆という「青磁中の青磁」と称されるほどの名品だけが集まる、特別な展示。この6枚が集まること自体、本当に珍しいことで、滅多にお目にかかれるものではないらしい。ということだけは、私でも理解できた。

 

器を愛でさせていただき、しばらくの間、その碧い色彩の世界に浸っていた。この器の色彩がかもし出してくるものは一体なんなんだろうと。内側に静かに響いてくる、不思議な感触の正体を知りたいと思った。テーブルに置かれた、その小さな湖のような皿を眺めながら。

 

 

松江から戻ったその足で、私は、早速、「本物の青磁」を見に、いそいそと出かけた。円形に小さく囲まれた、空間の中で、それぞれの碧が光っている。青磁の最骨頂と言われる、宋の時代。皇帝のためだけに作られた、その器たちは、まさに、それぞれの「記憶」を携えているように見えた。

 

大きな青磁が目に止まる。高台が取れてしまったという、その水仙盆は、まさに大きな湖のようでもあり、空の上へと広がっていくような雄大な情景が浮かび上がってくる。器の主は、この器にどんな想いを抱いていたのだろう。

 

その器をしばし眺めながら、私は、松江の宍道湖の情景を思い出していた。それは、雨がたくさん降り続いた、冬のある一日。しばらく湖を眺めていたら、空と水面の境目が見えなくなり、あたり一面、水の景色になる瞬間に出くわした。時空を超え、水の中に吸い込まれていくかのような、不思議な感覚。器を前にして、なぜか、その時の幻想的な風景が鮮明にイメージとして浮かび上がってきたのだった。

 

長い年月と様々な記憶を携えた器と大きな湖が携える透明な水。

この「水の記憶」が導くもの。次なるトリップへと導かれていく。

 

○写真は、大阪市立東洋陶磁美術館で開催された「台北國立故宮博物館 北宋汝窯青磁水仙盆」図録より。1920年ごろまでは、水仙盆ではなく、「冬青磁洗」という名称で呼ばれていた。

 

小川敦子

アートディレクター。2012年より、クリエイションの背景にあるものを伝えることコンセプトにした「niwa magazine」を編集・主宰。2017年春より、京都琵琶湖疏水近くにて、gallary&salon 碧森 AOIMORIをオープン予定。

 

 

 

 

 

 

2017年04月02日 / 

森の入り口 文/小川敦子

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ある夜 夢を見る

碧い森の夢を

 

大きな杉の樹々が 整然と立ち並ぶ

森の情景が 目の前に拡がっていた

 

まるで 湖の中に すっぽりと沈んでいるかのように

森は あたり一面 碧く包まれていた

 

私は ただ そこに佇み

その情景を 静かに 眺めていた

 

やがて 私は 溶けていく

深く息をするたびに

私は森の一部となっていき

その碧く 透明な空気の中に 少しずつ溶けていく

 

そうして 私は 森の世界へと 足を踏み入れていく

森の さらに 奥深くへと

 

 

 

小川敦子

アートディレクター。2012年より、クリエイションの背景にあるものを伝えることコンセプトにした「niwa magazine」を編集・主宰。2017年春より、京都琵琶湖疏水近くにて、gallary&salon 碧森 AOIMORIをオープン予定。

 

2017年01月30日 / 

水をめぐる話 文/森善之

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遠くから柔らかい風に乗って水の気配が運ばれてくる。

まるで大きな生き物の呼吸のように吹く風。

風は水と木々の匂いがした。

見渡す限りの視界に広がっている、土色に濁った巨大な河の流れ。

10数メートルもあるという河の水底。

初めて見た河の水平線。

 

 

15年も前に10日ほどの間、南米のアマゾン河に取材に出かけた。

そこでの体験が僕にとって、水に対する思索の始まりだった。

伝え聞くアマゾンの水は決して恐ろしい魔物ではなかった。

僕はその水で顔を洗い、歯を磨いて、体を洗った。

その土地の人々と同じようにアマゾンの水の恩恵に浴した。

 

帰国後、通い慣れた紀伊山地の川に出かけた。

そこは修験者たちが大切に守ってきた聖なる川。

そこで水を眺めていると、様々な妄想が湧いてくる。

 

この世界でいかなる形にも変化できるもの。

水は形というものを持たない。

液体であるが空気の中に姿を消すこともできるし。

大気の中で雲にも変わる。

雲もまた形を持たず、雨や雪にも変化する。

氷になって個体となることもできる。

油とは混ざらないが、いろんな液体と混ざり合うことができる。

なんと不思議な存在だろうか。

 

僕たち生き物は、

蛇にも魚にも鳥にも人にも虫にも変化、あるいは進化できる。

死ねば、水と同じように空気の中に姿を消す。

 

人の体の6割は水分だと聞く。

4割は土に帰るが、

残りの6割の水分と消えた命はどこに行くのだろうか?

この疑問に対して頭の中で仮説が組み上がっていった。

水が命そのものだとしたら。

水が生命体だとしたら。

命は水と同じ存在だとしたら。

 

死ねば命は水となって体を去り、

大気の中へと拡散されるか、あるいは地下に染み込み地下水となる。

大気中の水は酸素としてこの地球を取り囲んでいるから、

いつの日にかまた転生する事ができる。

もしオゾン層が破壊されたらどうなるのか?

オゾンによって守られている大気が宇宙へと流れ出してしまう。

つまり水が宇宙へと流れ出す。

一旦オゾン層から飛び出した水は、

二度とこの地球の輪廻には戻れない。

 

そんな途方もない妄想が、

透明で清冽な水の瞬時の姿の合間に、

頭の中を駆け巡っていく。

川からすくい上げたコップ一杯の水には、

僕にとって大切なビジョンが、

陽の光を受けて揺らいでいる。

それは形を持たず、いかようにも理(ことわり)に基づいて変化する。

できるならそんな風に生きていきたい。

 

 

森善之

 

写真家、1960年神戸市に生まれる。

今の時代を生きる一人の人間として、「どう生きるのか?」というこ

とを問い続けている。どう暮らすか?は「どう生きるのか?」と同

じ意味を持つ。だから日々をどのように暮らすか、を大切にしたい

と思っている。2009年から日本各地の暮らしを取り上げた冊子

「ジャパングラフ」を発刊。一年に一県を丸ごと特集して出版して

いる。個人の作品集には「うた」、「水のすみか」がある。2014年

に京都府宇治市にジャパングラフのコンセプトショップ・ナナクモ

を開設し、活動の拠点としている。

http://yoshiyuki-mori.net/

 

books&folkart ナナクモ

Japangraph編集室

〒611-0021

京都府宇治市宇治妙楽144番地

電話/FAX 0774-21-8118

 

 

2017年01月30日 / 

moon light river 文・小川敦子

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東京時代も、今いる京都も、川のそばに住んでいる。

 

春の夜、川のそばで一斉に咲き誇る桜の樹の下で、私はよく一人佇んでいた。
水の流れる音や川からの涼やかな風を感じながら、
その温かい桜の花を見つめる時間がとても大事だったのだ。

 

一年に一度だけ、その本当の美しさを魅せることのできる桜。
妖艶で、そして、清純な淡いピンクの色。
全身を使って、美しさを表現するその植物に
私はすっかり心を奪われてしまう。

 

ー私はここで生きている。
とてもシンプルだけど、桜と私は、そんなことを人知れず、
とても静かに、夜、ささやき合っていた。

 

京都に移り、やはり、川のそばを選んだ自分がいる。
河原を散歩する時間がたまらなく好きで、
一人でも、二人でも、私は川のそばを歩くと
ぐんぐん歩いてしまう。

 

ーすべては水が流してくれる。
古来と変わらず、空気の密度が濃いこの土地では
いろいろな意味で、
川がなくてはならない存在なのだ。
澱まない。
流れに逆らうことなく、すべてをあるがままに受け入れていく。

 

私は、河原を橋の上から眺め、
深呼吸をする。そうして、自分の中にあった澱みも
この川の流れとともに、消えていく。
そうして、見上げた空には、月や星が輝いている。
ああ、私はこれでいい。あるがままでいい。
素直に、自分を受け入れる。

 

川はいつも、わたしとともにある。
そして、わたしの内側にも、川が流れている。
とても静かに、ゆっくりと。
水の流れは、わたしとわたしの大切なものをつなげてくれる。
それを、ゆっくりと両手ですくい上げて、味わうように
あるがままに受け止める。わたしの内は、ゆっくりと水で満たされていく。
とても、温かく。

2016年07月07日 / 

「あれから5年」  文/町田泰彦

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私は、どうにか掴んだ鉄橋のその梁を離さないよう、ありったけの力を手に入れていた。私の体をさらっていこうとする濁った水がだくだくと流れてゆくその先は、私の未来か、はたまた過去か。その、真っ暗な未来/過去と思える沖の方へ、土地から離脱し流れてゆく一軒の家があった。その家の中に、人影(ひとかげ)があった。真っ暗な未来/過去のなかから炙り絵のように染み出て来た白い顔が見えた。その人は、私を見ていた。この、私を見て、笑っていた。手を大きく左右に振り「おーい」と笑った。

 

その笑っている男を、私は、わたくしだ、と思った。今、こうして震災から5年が経ち、食うものにも困らずにひとまず明日の心配もせず暖かい布団の中で眠られる私が、その、笑っている男を、私は、わたくしだ、と感じている。そして、濁流の中、渾身の力で「今」にしがみついていた男のことも、私は、わたくしだ、と感じている。

 

流されたのは、私でも、隣の君でもよかったのか?そういう意味で、梁にしがみついたそのひとを、わたくし、と感じ、手を振る男を別の、わたくし、と感じたのか?

 

いや、そういうこととも少し違って、私は、まさにあの濁流に、かつて流されたのだ。私の全部、と言い切ることが難しいのなら、私の一部が。そして、いまもなお流されつづけているという感覚。その全部なり一部が、濁った水にまみれ、遠く遠い未来/過去へと、流され、流された果てのわたくしに、今、私が出会っている。

 

地震のあったあの日、大きな揺れのために一日が百分の2秒ほど短くなったのだという。大きな地震は、文字通り、地面を揺らしたのに加えて、時間をも揺らしたのだろう。あちこちに、ぽっかりとブラックホールのような裂け目が開いていた。5年前を振り返って、震災前と震災後、というその境に、その裂け目がある。私は、そこへと足を踏み込むことは極力に避けて入るけれど、それでも可能な限りに近寄って、その穴を観察している。

 

震災から5年、私は、観察をし続けている。過去と未来その両者を含めた「今」という時間を書き留めながら。そうやって、その書き留められた「今」という時間は、永遠の過去と未来を行き来する力を得る。映画『ハトを、飛ばす』や短編小説『土と土が出会うところ』は、そのような仕事のひとつなのだと思う。

 

震災、原発の爆発から6年目に突入する。大変なことがあることは想像できるけれど、楽しみなことしか思いつかない。

 

 

 

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町田泰彦(建築家)

1975年生まれ。幼少期を四国やニュージーランドといった自然が豊かな場所で過ごす。小栗康平監督作品の映画製作参加をきっかけに活動拠点を鎌倉から益子町に移す。著作に短編小説集『ハトを、飛ばす』『こつぜん』などがある。2016年にはドキュメンタリー映画『ハトを、飛ばす』を公開
http://www.malplan.com/blog

2016年03月11日 / 

「空と記憶」 文/小川敦子

 

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光の世界

 

やさしい やさしい 光に包まれた空気感

私は 青い その憂いのある 写真たちを眺めながら

「あの頃の」東京を想い出していた

懐かしい とても懐かしい 空の記憶

「帰りたい」  そう素直に思える 自分がいた

 

東京にいた頃、とても好きな時間帯があった 夕方

夕焼けに彩られた空と様々な形の雲が合わさる

白とピンク色と水色と薄紫が混ざった

透明な時間 日曜日の夕方に 河の土手から 空を見上げながら

いつもうっとりとしていたのだった

 

うれしいときも ちょっとかなしいときも

そのときの気持ちに そっと寄り添ってくれる

そんな柔らかな色合いの 夕方の空が好きだった

それは これからも これまでも どこにいても

ずっと変わることはない 見上げれば

そこには ただただ ありのままに

光のある やさしい空がある

 

それでも

あの日だけは いつもの空は

いつものようではなかった

グレーで とても暗くて

いつものやさしい表情は そこにはなかった

その数分後に起こることのすべてが

その濃い色彩のなかに表れていた

 

色の記憶

それは 大きな揺らぎと 大きな水のうねりの光景とともに

私の記憶から 消えることはない

いや 覚えていたいのだ しっかりと くっきりと

これからも これまでも ずっと ずっと

わたしの キズ として

それぞれの キズ として

 

残響のように それぞれの記憶のうちに 残されたまま

グレーの光景が霞んでいる

 

それでも

その光景のなかに いつか いつでもいいから

柔らかで やさしい光が差し込み

すべてをゆだねたくなるような

夕方のあの空にすっぽりと包まれるような

幸福感で満たされることを 願っている

 

ずっと ずっと

これからも これまでも

 

 

イラスト/西山ゆか

2016年03月11日 / 

どこかにいるあなたとどこでもない私 文/大泉愛子

 

仙台から関西へ。仕事のために移り住んで7年近く経つ。

移ってからは特別に大きく何かが変わるでもなく違和感も感じずに住んでいた。

だって地球の裏側に行くってわけじゃないんだし、と。

 

そんな中、どうしようもない、物理的、心理的な距離を感じざるをえない出来事があった。東日本大震災。その日のことはよく覚えている。

当時働いていた美術館では、次の展覧会の準備の為、作品の入れ替えをしなくてはいけない重労働の日だった。

 

事務所で作業をしていた同僚から東北で大きな地震があったそうだ、大丈夫かと声をかけられた。慌ててパソコンで調べる。ニュースでは速報が流れていた。

急いで両親に連絡をとった。電話はなかなかつながらなかった。

 

何度も掛けているとようやく繋がり、安否が確認できた。地震の影響でライフラインが止まっているが、家族は皆無事だった。住んでいたエリアは津波の影響はなく、ライフラインも2、3日で回復した。その時は、電気だけが止まっていたので充電がもうすぐ切れそうだという両親への連絡は、心配で仕方がなかったが控えるしかなかった。

 

とにかく何が起こっているのかをインターネットやSNSで調べた。ニュースでは、緊急速報が流れる。地震の規模を知り、ライフラインや交通機関の停止、被害の大きさを知る。そして、信じられなかった。あの津波。

 

繰り返しニュースに流れる津波の映像を見て、本当に起こっているのか信じられなかった。信じたくなかったんだと思う。

想像も出来ない出来事を目の前にして、動けなかった。私はその時、生まれ育った土地で起こったあの出来事を、遠く離れた場所から傍観するしか出来なかった。

 

それから後は、記憶の時系列がばらばらで正確な流れが分からない。

 

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あれから私は、故郷に帰らずに今も関西に居続けている。

けれど、こうして書いていると思うこと。

 

帰らないことを選んだ私を、まだやりたいこと、見たいことが今居る場所にあったからだと思っていた。そう思うようにしていたんだと思う。

今すぐ帰って出来ることをしなくては、と思った。けれど、離れてしまったその物理的、心理的距離、そして、離れていた時間に埋められない何かを感じて帰れなかった。

 

それから、何も出来ない自分を、何も出来なかった自分をずっと責め続けている。生まれ育った故郷に対して抱えた後悔は、大切なその街や人の人生を変える大きな出来事があったその時に、そこに居て同じ出来事を共有できなかった自分勝手な後悔だ。

 

当事者になれなかった私はちゅうぶらりんのままだ。

当事者になれなかった私は問い続ける。

なぜあの時、戻らなかったのだと。たぶんずっと、事が切れるまで。

 

当事者って一体誰なんだろう。

被災者は一体誰までを言うのだろう。

私のなりたかった当事者って何なんだ?

 

家族を、誰かを亡くして悲しみに打ちひしがれたかったのか、ずっと住んでいた愛すべき故郷が失われてしまったことに涙枯れるまで嘆き悲しみたかったのか。考えたところで、同情をしたところで何も生まれはしないんだ。

当事者には、沢山の形があり、沢山の関わり方がある。

そう理解することで、生き方は変わってくる。

進み始める。

 

1秒ごとに、記憶は生まれ、同時に忘れていく。

1秒ごとに、人は死へ近づいていく。

だからこそ、その時間をどう積み重ねていくかに捧げたい。

どんな風にその1秒を過ごして積み重ねていくのか。

たとえそれを忘れていくとしても、どう重ねていくか。

それを考えて時を刻んでいく。

 

忘れられないことは忘れなくていい。思いとどめたいことは気持ちに正直にそういればいい。忘れたいことは忘れればいい。そうして次の瞬間を生きられるならば。

後悔しているならば、その後悔とどう向き合っていくか。

時間は戻らないけれど、どう向き合っていくかを丁寧に考えていきたい。

これから自分自身がどんな時間を刻んで、重ねていくかを考える。

その一秒に、繰り返し後悔をしないように。

 

どこかにいるあなたと、どこでもない私は、どんな時間を重ねていくのだろう。

 

大泉愛子

宮城県仙台市出身。せんだいメディアテーク勤務後、関西へ移住。現在、神戸アートビレッジセンター広報として勤務。個人企画として展覧会やイベントを不定期で実施。主な展覧会として西光祐輔写真展「I forgot but I can see. I remember but I can’t see.」などのほか、「神戸-アジア コンテンポラリーダンス・フェスティバル ♯3」広報、南山城村芸術祭2014 「村の芸術祭」、渡邊琢磨 Piano Quintet 関西ツアー2015の企画運営に携わる。

2016年03月11日 / 

生き神さまたち vol.4  文/竹添 友美

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中正人さん。通称なかくん。好きなことは釣り。「なかくん、釣り行ったの?」「うん」「なんか釣れた?」「さば」「楽しかった?」「うん」。なかくんの受け応えは短いけど、いつも変わらぬやさしさと気品があり、大きく人を包み込む力があります。すべてを受け入れてくれるような、その「うん」を何度でも聞きたくなって、わかっていても毎度同じ質問をしてしまいます。

 

作品集で観たなかくんの絵は土から湧いてくるような根源的な強さと暗さがあり、火のようなドラマチックな激しさもあり、普段の様子からは感じられない迫力に満ちています。作品をじかに観たことがなかったので、アトリエを訪問しました。史子さんが「たけちゃん描いてみる?」と、なかくんに聞き、え。嬉しいけど怖い。マントヒヒぐらいにはなる覚悟あるけど、鬼みたいなすごいの出てきたらどうしよう…と戸惑う間もなく「うん」と小さく答えるなり、目!まつげ!口!歯!大きいとこから先に、どんどん迷いなく気持ちいい速さで描いてくれます。心配をよそに、可愛くて面白い肖像画が出来あがり、我が家の家宝となりました。うれしくて毎日眺めてはニヤニヤしてしまいます。

 

 

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せっかくアトリエにいるので単独インタビューを試みました。

 

「なかくん、今一番好きなことはなんですか?」「おえかき」

(私に気を使っている)

 

「ほんとは、釣り?」「うん」

(たぶんこれが本音)

 

「今週はどこに行ったの」「吉野川」

「釣りとお絵かきどっちが好き?」「りょうほう」

(また気を使っている?)

 

「食べ物は何が好きですか?」「カレー」「一緒だ!」「うん」

 

「最近楽しかったことはなんですか」「おえかき(私を指さす)」「あ、わたし?さっき可愛く描いてくれたね。ありがとう。嬉しいです(おじぎする)」「ふふふ」

 

「じゃあ、最近悲しかったことはなんですか」・・・しばらく考えて、首をちょっと横にふる。

 

「最近腹立ったことある?」・・・困った顔になって、首をちょっと横にふる。嫌な質問してごめんね。

 

「次の遠足どこいくの?」「カラオケ」「何唄うの?唄ってみて」「ふふふ」・・・はぐらかされました。

しょーもないことたくさん聞いたけど、ずっと微笑みを絶やさずにちゃんと答えてくれました。

 

いつでも誰にでも、相手の期待にきちんと応えよう、ほんのちいさな軋轢も生まないようにと気をつかう、その気持ちがあの「うん」に込められたやさしさと気品につながっているように思います。いつもありがとうね、なかくん。

 

写真一番上/photograph by 宮脇達

 

 

アトリエひこ
〒547-0044 大阪市平野区平野本町4-3-20
HP:http://atelier-hiko.blog.jp

 

 

竹添友美
編集・書き物
十数年間の会社員生活の後、2007年より編集見習いを始める。2010年より雑誌、WEBmagazine、イベントの企画、編集、取材を通じて地域で丁寧に暮らしを営む人びとや風土や文化を守り育てる人びとに出会う。不惑を過ぎても惑うし、知らないことは増え続けるし、価値観も変わる。そんな日々の振動に耳を澄ませ、記録し、記憶し、伝えていきたい。

 

2016年02月19日 / 

生き神さまたち vol.3  文/竹添 友美

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松本国三さん。通称国ちゃん。好きなものは歌舞伎、舞妓さん、美少年、リス。国ちゃんのウエストポーチには、チップとデール。サンタの格好をしたチップとデール。信州のオコジョ。イギリスのリス。モン&ブランのブラン(チップとデールがつくったくまさん)。その他多数がいつもくっついて大所帯です。歌舞伎や文楽や琳派展、都をどりの宣伝用チラシを見れば集めています。それからアンケートコーナー。どこに出かけても必ず立ち寄ります。律儀に全部の欄に何かを書いて埋め終わるまで、その場から離れません。そういえば、と先日、史子さんが思い出したこと。アトリエ旅行で境港~玉造に行ったとき、国ちゃん、温泉旅館のアンケートの「お友達をご紹介ください」欄に「水木しげる」と書いていたそうです。

 

国ちゃんは、ただでさえ丸い背中をさらに丸めて書く・書く・書く。紙とペンがこんなにも熱狂的に使われることがあるだろうかという勢いで書き続けます。大好きな歌舞伎と舞妓さんの「舞」は横線も縦線もどんどん増えていき、ほぼ格子模様のようになります。ある文字は省略され、ある文字は増殖し、重なり合い、紙面を埋め尽くし続けて終わりはいつ来るのやら、国ちゃんのみぞ知る。たまに読めてたまに読めない文字・文字・文字の集合体は詩的な、神話的な記号のようにも宇宙への手紙のようにも見えます。

 

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あるとき、国ちゃんから鬼屋東京というところに宛てた手紙の束を、アーカイブ撮影するところに立ち会わせてもらいました。一枚ずつでも存在感のある国ちゃんの作品が、何十年にもわたる夥しい手紙の束になっている濃密さ。封筒の外側にまでびっしりと文字が書かれ、シールが貼られ、スタンプが押され、これはだいじなもの。という堂々たる気配が漂っています。国ちゃんがペンを握り黙々と綴ってきた文字の合間にときどき懐かしいキャラクターもののシールが貼られたり、美少年たちのブロマイドや折り畳まれた映画のパンフレットが挟まれたものもあり。長く静かに集中した時間の積み重なりを眺めながら、胸がいっぱいになりました。

 

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photograph by Atelier Hiko

 

 

アトリエひこ
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竹添友美
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十数年間の会社員生活の後、2007年より編集見習いを始める。2010年より雑誌、WEBmagazine、イベントの企画、編集、取材を通じて地域で丁寧に暮らしを営む人びとや風土や文化を守り育てる人びとに出会う。不惑を過ぎても惑うし、知らないことは増え続けるし、価値観も変わる。そんな日々の振動に耳を澄ませ、記録し、記憶し、伝えていきたい。

 

2015年12月07日 / 

生き神さまたち vol.2  文/竹添 友美

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大江正彦くん。通称ひこくんの絵をはじめて観たとき、思わず「うわははーすっごいなあ」という声が出てしまい、頬は知らずと緩み、手足にさあっと鳥肌が立って自分の心身が喜んでいることがわかりました。キラキラと周囲を照らすような、とくとくとエネルギーが溢れだすような、ピュアで明るく天真爛漫、おちゃめで大胆で好奇心に満ちたひこくんそのものの絵が飛び出して、噛りつきたくなってしまうような愛おしさがあり、どこか懐かしさもあり。唯一無二のひこくん、ここにあり。一言でいうなら、「全開」。うまく描こうとか、どう描こうとかを越えてその人の本質だけがキャンバスに溢れ出し踊っている絵とは、こんなにも人にパワーを与えるものなのか。と身体で感じた衝撃の瞬間でした。

 

動物好きなひこくんは、カラスがいれば両手をはばたかせて「カーァ」と話しかけ、羊がいれば「ンメェー」と鳴き、犬にも猫にも鳩にも虫にも、遊びのお誘いをしては断られ、威嚇されていますが、めげません。遊園地でもまっさきに乗り物に向かっていくタイプ。吊り橋や、高いところも大好き。怖いもの知らずでぐんぐん気になるものに近づいていき、いつもマイペースで好奇心全開。でも置いてけぼりになっている人がいないか振り返って、おいでおいでと手招きしてくれるし、はぐれていれば探しに行ってくれる、気遣いの人でもあります。動物も人も大好き。

 

それから相撲も大好き。「すもーすもー」とよく唱えています。場所が始まると同時に描きだし「ひょーしょーじょー」の時に描き終わる、というひとつのリズムがあります。絵の具が凸凹の土壁のように塗り上げられて、重たくなって、カタマリになってボロボロ落ちたり絵の具が飛び散って床から椅子から抽象画のようになって、とっくに完成したかのようにみえる、その可愛いけれど凄まじい絵を、千秋楽の日まで終わらせず描きつづけます。同じルールで20年くらいもの間コンスタントに、アスリートのように毎日毎日とてつもない集中力で絵筆を握り、ただ描きたいというシンプルでピュアな衝動だけで描きつづけているのです。夜遅くまで付き合うおかあさんは、みるみるうちに消費されてゆく白黒緑の絵の具の減り具合にくらくらしておられますが。

 

ひこくんが絵に向かう姿はぴかぴかと神神しい。誰にも邪魔のできない、堂々ときっぱりとしたものです。誰もが応援したくなる、ひこくんの背中です。

 

photograph by Atelier Hiko

 

アトリエひこ
〒547-0044 大阪市平野区平野本町4-3-20
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竹添友美
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十数年間の会社員生活の後、2007年より編集見習いを始める。2010年より雑誌、WEBmagazine、イベントの企画、編集、取材を通じて地域で丁寧に暮らしを営む人びとや風土や文化を守り育てる人びとに出会う。不惑を過ぎても惑うし、知らないことは増え続けるし、価値観も変わる。そんな日々の振動に耳を澄ませ、記録し、記憶し、伝えていきたい。

2015年10月07日 / 

生き神さまたち vol.1  文/竹添 友美

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お金と計算と争いごとが大の苦手という一連の人たちがいます。

人類の地球退場を遅らせるために選ばれてこの世にやってきた人たちです。

 

これはアトリエひこの武爺さんが、なかくんというアーティストの作品集の冒頭に寄せた前書きのほんの一部です。幸運にもこんな人たちとご縁ができたのは、1年半くらい前のこと。

 

アトリエひこは、ダウン症と重い心臓疾患をもつアーティスト・ひこくんのお母さんが1994年に自宅でスタートし、ひこくんと同じように長時間の作業や活動が困難な仲間たちが集まって絵を描いたり、遠足にいったりする自主運営のアトリエ。みんな、それは素晴らしい、気の遠くなるような、ゾクっとするような、衝撃的で自由でのびやかな、エネルギーに満ちたすごいものを創るアーティストたちが集まっています。

 

縁あって、私は昨年からこの「ひこ遠足」に参加させてもらうことになりました。美術の先生だけどみんなの保護者で兄弟で友達でもある史子さんと、アウトドアからインドアまでなんでも万能で80代にして青年の心身を持つ武爺さん、マイペースでやさしくて素直なひこのアーティストたちが、釣りやお花見や、展覧会にいったり紙ヒコーキ飛ばしたり、いろんな遊びをしにあちこちに出かけます。

 

月に一回、微力ながらもお役に立てるかとはじめた遠足スタッフだけど、あまりに等身大で過ごせるのが心地好くなり、たまに顔見せてのびのび楽しく遊んでるだけの風来坊のようになっています。彼らはあまりしゃべらないけれど、とても鋭い感覚と豊かな表現力を持っているので繕ってみせてもすべてお見通しのような気がして、いろいろと自分をごまかせなくなります。

 

「このひとたちの絵をみてるとな」

 

正確には覚えていないけれど、あるとき史子さんがこんなことを言いました。

 

「ものすごい何代も先の未来からとか、天からのメッセージみたいなものを神様がこの人たちに描かせてるんじゃないかと思うねん。そういう役割を背負って何度も何度も太古の昔から生まれ変わりながら存在してきた、そんな人たちじゃないかと思う時があんねんな。あんまりいうたらあかんけど」

 

あんまりいうたらあかんけど。という一言に、そんなこと言って周りからのプレッシャーがかかったりして彼らに必要以上の重荷を持たせたくないし、いまこの時をなんとか幸せに生きてほしいというのだけが一番の願いだし、という親心のようなものを感じました。

 

じっさい、障害を持って生まれてくることにつきまとう不自由さがあります。身体が動かしづらかったり、病気をしやすかったり、会話するのが難しかったり、いわゆる「普通の」社会生活を送るには人一倍、いや何倍もの困難が起きます。歳をとってくるし、目に見えることだけを追っていくと現実はなかなか厳しい。けれど、何十年もずっと、普段の様子や作品を通してひとりひとりの心身の状態をほんとうによく見てきた史子さんには、もっと彼らの本質に迫るものが見えています。史子さんがある日彼らを「生き神さまたち」と言ったとき、すとんと納得してしまった。それはかれらにぴったりの呼び名でした。

 

 

アトリエひこ
〒547-0044 大阪市平野区平野本町4-3-20
HP: http://atelier-hiko.blog.jp
竹添友美
編集・書き物
十数年間の会社員生活の後、2007年より編集見習いを始める。2010年より雑誌、WEBmagazine、イベントの企画、編集、取材を通じて地域で丁寧に暮らしを営む人びとや風土や文化を守り育てる人びとに出会う。不惑を過ぎても惑うし、知らないことは増え続けるし、価値観も変わる。そんな日々の振動に耳を澄ませ、記録し、記憶し、伝えていきたい。

2015年09月07日 / 

本の話 vol.8 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

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女性の手仕事についての本

 

 

「女性の手仕事」について書かれた本が、今回のテーマです。さてこれは大変テーマだなと、途方にくれたものですが、一方で、ざわざわと音を立てて心の蓋の内側をつつかれるようなある興奮も覚えました。女性ですから、身につまされるところがあります。「女性の手仕事」なんて、ずいぶんと示唆に富んだテーマです。こういう本がおすすめですよと、人に紹介出来るほど知識に自信はありあせんが、今の自分にとって、女性の手仕事とは何か、と確認し自分なりに納得するために再び手に取ってみたい本を揚げてみることにしました。

 

少し前置きを。手仕事、それも単純な仕事を始めると、つい時を忘れてしまうことがあります。ある一定の動作を繰り返し繰り返し行いながら物を作る行為、作ることのみならず、手を使う労働には、それに見合った時間の流れ方があって、ひとつひとつを重ねて次に至る時間の長さに身を置いていると不思議と自分の心がリアルに浮き上がるものです。そこで自分の内側と向き合ってしまう。気分の良い時は穏やかに手が進む。反対に心にひっかかるものがあるとそればかりを繰り返し思い煩っている。けれどもいったん表に出てわさわさする心の現れが、長く続く手が繰り返す行為の中で次第に薄れ、手元の作業に心が入っていく。

 

手による単純な仕事は、人に自分と向き合うひとときを与えてくれるものだと思います。編む、織る、縫う、掃く、拭く、洗う、磨く、漬ける、それらの手作業は遠い昔から女性に与えられた仕事でした。日々繰り返される労働の連続。家事労働と手仕事はピタリとあてはまる円の重なりでもありました。それが時代の流れとともに家事労働はイコール手仕事ではなくなった。日々の労働から手仕事はどんどん必要なくなっていったのです。女性は手仕事による家事労働から解放されるべきだ、とは、時代の要請であり、私自身もそうであってほしいと願う一人です。その一方で、手仕事を通して自分の中にもたらされるひそやかな喜びも否定出来ずにいる。

 

今の女性にとって手仕事とは何なのだろうか、という問いが、いつも二つの極を行ったり来たりしています。女性は手仕事からは解放されたほうがいいのか、手仕事にもどるほうがいいのか。

 

そこでまず手にしたい本が、「大きな森の小さな家」というタイトルの本です。これではピンとこない人でも、テレビドラマの「大草原の小さな家」の原作と言えば、ご存知の方は多いのではないでしょうか。

 

100年以上も前の北アメリカで、大きな森の中に住む6歳の少女ローラ•インガルスの目を通して日々の暮らしが語られた本です。タイトルにあるように大自然の中にぽつんと建てられた丸太小屋に一家は住み、春夏秋冬、身を寄せ合って暮らしています。三人姉妹の真ん中のローラにとって、とうさんとかあさんは絶対的な存在です。とくに、小さな家を襲うあらゆる危険から家族を守るとうさんはローラにとってスーパーヒーロー。熊やオオカミといった森の生き物たちや、嵐や大吹雪、日照り、熱病といった自然の脅威にさらされる日々の中で、とうさんを中心にかあさんと子どもたちは生活に必要な事をすべて自分たちの手で作り上げ、それらを守り抜いていきます。

 

この物語ですばらしいのは、ローラの目に写るかあさんの日々の仕事です。洗濯、アイロンかけ、つくろいもの、バターつくり、そうじ、オーブン仕事といった日課に加えて、チーズやハムの保存食作り、ローラたちのお人形も母さんが手作りしてくれます。

 

「きれいな水でトウモロコシをごしごしもんでいる母さんは、とてもきれいでした、、、母さんは、そのきれいな服に、水をはねかしたりはぜんぜんしないのでした。」

 

一家の暮らしは、きっとほとんどの日々が労苦の連続だったのでしょうけど、子どもの目はまっすぐに日々の喜びを感じ取っています。そして、この日々は延々と毎年続くものではないこともどこかで思っている。家族の安らかなひとときを確認するように「今なのね」と小さなローラは心に刻みます。

 

100年経った今では、当時の様子をただ想像することしか出来ないのですが、生きていく根本に、女性の手仕事が一家を優しく包み、支えていたことを素直に読む事の出来るこの物語。時代がどんなに変わろうとも、手仕事は生きる喜びに通じることを、読む者に示してくれるやさしい本です。

 

 

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もうひとつは、グリム童話の「六羽の白鳥」という物語です。

 

このメルヘンは数分で読む事の出来るおとぎ話ですが、フランス人の思想家シモーヌ•ヴェイユは弱冠16歳の折に、このメルヘンにはある普遍的な寓話性が読み取れるとし、独特な深い読みを作文にしています。ヴェイユのそのあたりの10代の卓越した知性に関して、富原眞弓さんが「シモーヌ•ヴェイユ 力の寓話」の中で書いています。この読み取りを女性の手仕事という視点をあてはめるとなかなか面白いのです。「6羽の白鳥」というメルヘンでは、困難な手仕事を少女がたった一人で成し遂げねばならず、その仕事が完成するまでは決して笑ってもしゃべってもいけない。そうしなければ愛する兄たちの呪いを解くことはできないとあります。そのことをヴェイユの読みは、妹の、呪いをかけられた兄を救うために編むことに向いていないアネモネでシャツを編むという行為としての試練に注目しているのではなくて、それをしている間は一切話す、笑う行為が禁じられている、抑制されている試練に深い意味を見いだします。手を動かしてシャツを編む試練に対して、することを禁じられた試練のほうに行為の難しさを見ています。ただ一人で6人の兄たちの運命を背負い、「しない」ことを覚悟する、「意志的な行動抑制(これは文中からの引用)」。あらぬ非難や誤解に対して一言も言葉で弁解できず、編むという行為も困難になる何重もの試練に対して何も弁解せずに、「しないことを選ぶ」妹の強い意志、精神。言うなれば妹の自己放棄が物語の幸福な結末に通じていることがこのメルヘンの柱にあると。

 

そして、こう結ばれる。「唯一の力、すなわち唯一の徳性とは行動の抑制。」

 

この結びつけを、長い歴史の中での女性の立場と労働の姿に置き換えてみると、何かが透けて見えてくる気がします。言葉を発することなく手や肉体で労働、仕事をしてきた者に与えられるのは、唯一の力、徳性なのかと。

 

メルヘンはメルヘンとして何も考えず、普段の感情も置いて、お話に没頭するからメルヘンなのですが、6羽の白鳥に姿を変えられた兄たちを何とか元の姿にしなくてはと、何を聞かれても押し黙ったままに懸命に編み続ける妹の姿を通して、理不尽な現実もやがて最も望まれる瞬間に向かう一瞬に過ぎないことを心がうけとめるのです。

 

 

「大きな森の小さな家」ローラ・インカルス・ワイルダー作

「シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話」富原眞弓著 青土社刊

 

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

book & gallery DOOR

島根県松江市上乃木1-22-22

tel 0852-26-7846

2014年12月14日 / 

表現する、私。〜 Interview:Coci la elle ひがし ちか
さん

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日傘作家・デザイナー ひがし ちかさんに聴く

こしらえる、ということ。

 

 

私には、「何か」がある。

そう信じて、生きてきた人である。

私には、「何が」があるの?

そう問い続けて、生きてきた人である。

「ひがし ちか」であるために

生まれてきた人である。

そうして、この世に1点しかないものを

手仕事で生み出すことにこだわって

傘とスカーフのブランド「Coci la elle」(コシラエル)が

誕生した。

 

 

ひとつひとつ、こしらえる。

子供が眠った後、ひとり、チクチクと布地に刺繍を施す時間。

「その時間は、私は、何者でもない。男でも、女でもない。

母親でもない。なにも考えない。そして、いつの間にか、朝になっていて。

その時間が、本当に幸せ。かけがえのない時間です。私にとって」。

恍惚とした表情で、そう語る。

 

 

女の子の夢をカタチにしたような、可憐な日傘。

日傘は、キャンバス。物語のような色彩を布地に描き、

それは、特別な1点となる。時に、刺繍を施し、

アンティークのボタンを付ける。

すべてに手抜きをせず、とことん「手でこしらえる」ことに

こだわることが「自分の幹」である。それがなくなったら、

「ひがし ちか」が「ひがし ちか」でなくなってしまう。

手間をかけることを惜しまない。

 

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区役所でこの先どうなるんだろうと赤ちゃんを抱えて、

待合室で待っていたこと。母子寮。

女手ひとつで、子供を育てるという人生。

シングルマザーになったとき、仕事は何もしていなかった。

でも、生きていかなくてはいけない。守るべき存在のために。

覚悟が据わったとき、「日傘をつくる」という答えが出る。

 

 

「イメージが見えたの。日傘を作っている自分が。

確信があった。できる、と」。

傘作りの知識もなかったが、その構造がどうなっているのか

ゼロから、自分一人で調べることから出発。

まずは、材料をと、タウンページで検索しながら

ようやく、傘の「骨」を売る、一軒の商店を見つける。

持っていった試作の一本を見せるなり、

店のおじいちゃんから、一言。

「そんなんじゃだめだ。作り方、教えてやる」。

たまたま見つけた、その店で、傘作りのノウハウを習得。

 

 

そうして、友人の支えもあって開いた、はじめての展示会。

日傘は、完売。ミュージアムショップでの個展をはじめ、

発表の機会が続くようになる。日傘に、雨傘に、スカーフ。

クリエイションの幅も広がり、瞬く間に、ファンを増やす。

1年半前に、東京・清澄白河にある、

現在のアトリエ兼ショップを構えた。

 

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「Coci la elleを立ち上げて、4年。

最近、Coci la elleを会社にしました。

会社に出来るぐらい、儲かっていいですね〜とか、言われるけれど、

そういうことじゃないの。私、恩返しがしたいの。

これまでお世話になった人たちに。

そして、仕事として、ちゃんとお金という対価を払う、ということです。

恩なんて返さなくてもいいから、ちゃんと、続けてくれればいいよって、

みんなは言ってくれるんですけどね」。

 

 

対価、というのは、ひがしさんが今、挑戦している

最大のテーマかもしれない。

「傘のハンドル(持ち手)を作る職人さん、骨を作る職人さん。

ちゃんと、対価を支払いたい。

それは、高いとか安いということではないの」。

中国で作られた、何銭、何十円という安価なものよりも

ちゃんと作られたクオリティの高いもの。

そういう物に、対価が支払われなくなったら、

上質な物が、どんどん失われてしまう。

職人さんたちの手仕事があって、

自分の作る傘が成り立っている、ということ。

今では、京都の職人さんに、

とっておきのハンドルを作ってもらっているが

それも、はじめて傘づくりのノウハウを教えてくれた

お店のおじいちゃんが、紹介してくれたのだという。

「本当に、人に支えられている」と、ひがしさんは

熱っぽく語る。

 

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もともとは絵を描くことが好き。

でも、絵だけでは、なかなか食べていくことが難しかった。

ファッションやデザインの世界に身を置いたこともあるけれど、

やっぱり、描きたい。自分の気持ちを抑えられず、

仕事を点々とした。ずっともがきながら過ごしていた20代。

でも、人から言われた一言を、ずっと大切にして生きてきた。

「ちかには、絶対にあるよ。何かがあるよって」。

自分の中に眠る、自分にしかないもの。

そう信じ続けたからこそ、「特別なこと」を生み出す人になった。

人の心に響く「何か」を表現する。

日傘は、ひがしちかという人が、ずっと問い続けてきた

ひとつの結果なのだ。

 

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一人の表現者としての人生を生きる。

そこに、妥協はない。私が私でいるために。

表現者であり、母であり、女性であるという人生。

常に、手を動かし、心を込める。

素敵なその人は、常に、挑戦し続けている。

 

取材・文 小川敦子

 

 

 

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ひがし ちか
日傘作家・デザイナー

 

1981年長崎生まれ。絵が好きだった父の影響で幼い頃から絵を描く。
文化服装学院卒業後アパレル勤務などを経てなお絵を描き続ける中で、
「日傘」をキャンバスのようにして描くことに思い至る。

2010年7月「日傘屋Coci la elle」と称して初めての展示をNo.12 GALLERYで開催。
その後、ギャラリー、セレクトショップやミュージアムショップ、百貨店などでの展開を通じて、
独特の色彩感とユーモアを織り交ぜた斬新な表現とそれを日傘に施す意外性とオリジナリティが評判となる。

 

ひとつひとつ手描きの絵柄や刺繍を施す一点物の日傘には、
作品と商品(道具またはファッションとしてのアイテム)の間に
揺らぐ魅力があり、
日傘の新たな価値観をつくりだしている。

現在は、絵や写真のコラージュのプリント生地での雨傘やスカーフも製作している。
日傘の「一点物」という形態の継続と同時に、スカーフや雨傘の「量産」という形態も、
手にする人と間接的に日々を共有することを意識した挑戦になっている。

その他 ハンカチや小物など、自身の絵柄をプリントにして様々な物に
形を変える他社との共同製作も、
絵を描くこと、そしてそれらが誰かの日常生活に
喜びを与えることの可能性として、取り組んでいる。

現在は、清澄白河にアトリエ兼ストアをかまえる。
ブランド名は、つくり手の心を感じさせる日本特有の言葉「こしらえる」から。

 

Coci la elle Atelier&store

〒135-0022 東京都江東区三好2-3-2 1F
tel.03-6325-4667

http://www.cocilaelle.com

2014年12月07日 / 

五感で捉える vol.6 文/小川敦子 イラスト/西山ゆか

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光の中を漂う時間の糸が無数に交差して、記憶の泉になっていく。小さなモノ達は自然の光のもとに連れ出して、忘れてしまった本来の姿に近づける。

「ひろしま」石内 都著(集英社刊)

 

 

広島平和記念資料館に遺された被爆者の遺品を撮影した、写真集「ひろしま」。写真家・石内都さんが捉えた、美しいディテールの布衣のイメージは、戦争を過去のものとして捉えていた私にとって、甚く衝撃的だった。過去ではなく、それは、今でも生き続けているからだ。ジョーゼットの女性らしいワンピース、ギャザーがたっぷりと施された、上質な花柄の生地のワンピース。「何十万人のマスじゃなくて、このスカートを穿いた、たった一人の女の子をもっと自由にしてあげたかった。」(インタビュー/エココロno.67より)という石内さんの言葉にも表れているように、おしゃれをして、日常をただただ楽しんでいた女の子の姿が目に浮かんでくる。

 

縫い目や加工の丁寧さを見れば、よく分かる。娘のために、母が想いを込めて作られた洋服であることが。大切な誰かのためを想って、ただひたすらに手を動かし、仕立てること。そうした美しい心が、これらの写真を眺めていると、ぐっと目の前に迫ってくる。だからこそ、「ひろしま」で起きたことが、決して他人事や過去の出来事として、捉えることができなくなるのだ。記憶は、今に生きている。「より鮮明になる記憶」と、井上ひさしさんが称するように、石内さんの写真は、だからこそリアルで美しい。

 

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2014年10月07日 / 

本の話 vol.7 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

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vol.7    森についての本Ⅶ

 

 

少し前に友人から縄文時代の人々についての興味深い話を聞きました。その時代は、男性が女性のために身につける服に刺繍をし、美しく着飾るための装身具を作っていたとのこと。人々は穏やかで人なつっこく、他部族に対してもまっすぐな興味で受け入れるところがあったので、争うことはほとんどなかったと言うのです。この縄文時代という想像を超える長い「時」に、人々は争わなかったという話。きっと、とても鋭い感度で自分たちを取り巻く自然と向き合いながら、人と人は寄り添い合って、平和なきれいな心で手を動かしていた。稲作や鉄の文化を獲得する前の人々が、そんな心根の優しいまるで天上人のようであったはずだと、思いたいものです。

 

ミナ ペルホネンというファッションブランドがあります。皆川明さんというデザイナーの名前をとったミナはフィンランド語で「私」。ペルホネンは「蝶」。「私と蝶」。その名前の響きだけでも十分に小さく、可憐で、ひそやかなものをイメージ出来きますが、実際、ミナ ペルホネンは、ブランドと呼んでいいのかと思わせるくらい、通常のブランドのもつ「力」とは異質のもので人々の心を捉えている稀有なブランドです。

 

ミナ ペルホネンの特徴、個性はというと、皆川明さんの人と成り、感性、仕事への姿勢、現代社会へのメッセージ、挑戦などがしっかりとした骨格をなしていながらも、その表現はどこまでも柔らかくしなやかで、どこかなつかしさ感じさせるものです。巨大化される現代の消費のコードにはあえてのっかろうとせずに、独自の物づくりへの情熱と姿勢を貫いてブランドを維持している。どんなにか大変なことだろうかとつい思ってしまいますが、メディアを通して見せてくれる皆川さんの表情は、いつでも穏やかな笑みを浮かべて、そう、胸に十字架のペンダントを下げていたら牧師さんかと見まごうばかりにどこか浮き世離れをした面持ちに見えます。

 

そのミナ ペルホネンの仕事の全貌を紹介する展覧会が2002年、今から10年以上も前に東京のスパイラルガーデンで行われました。今回ご紹介したい本は、その展覧会のあとに、さらに紙媒体にして伝えたいものを組み上げるために出版された本です。

 

本のタイトルは「粒子」。ぴったりのタイトルです。このブランドが人々に与える独特な柔らかさやしなやかさといった印象をさらに、この「粒子」という言葉が表現形態にいたる圧倒的な深さを思わせ、より定着させています。皆川さんの手によるイノセントな線描が、できるだけ損なわれないようにして人から人へ仕事が渡っていく様子は、物が生産されるというよりは、元になる粒子が保たれたままに最終的な物へと形成される有機的な誕生とでも言いたくなるほどです。それだからでしょう、ミナの作り出される洋服、靴、鞄、アクセサリー、すべてが今もって変わらぬ感動を与え続けるのは、この「粒子」が変わらずにあるからなのだと納得できます。

 

もちろん皆川さんはじめスタッフの方たちによるクリエーションの賜物がこの「粒子」の元なのですが、もしかするとそこには、太古の、縄文の人々が持っていた平和な優しい心と、女性を美しく飾るために手作りをしてきた魂が、遥かな時空を超えて宿っているのかもしれないと、ふと思ってしまいました。空を見上げて星の運行に音の調べを聴いて、森の中の暗闇に怖れを抱き、畏怖の思いを生きる喜びに変えるために、せっせと美しい文様を描き、美しい形象を生み出していった縄文の人々。

 

ミナ ペルホネンが産み出す物の向こうに縄文が見える、などといくらか綱渡り的な結びつきですが、新しく、かつ刺激的な表現が横行するファッションの土壌で、常に懐かしさとあたたかさのともなう感動を与えてくれるミナの秘密を解く鍵にはならないでしょうか。

 

「粒子」は、ほんとうはとてもとても遠いところからやってきている。

 

「私」「蝶」という小さな存在の不思議さと明るさを持った、ひとつのブランドの表現媒体でありながら、そこに見える示唆は大きいと思われます。その奥には何があるのだろうかと、これからもミナの行く先は眼が離せません。

 

 

 

「粒子」 ブルース•インターアクションズ 発行

「皆川明の旅のかけら」 皆川明 著  文化出版局 発行

「紋黄蝶」 年2回発行

ミナ ペルホネンの次のシーズンのコレクションを紹介する冊子

 

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

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2014年08月10日 / 

本の話 vol.6 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

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vol.6   森についての本 Ⅵ

 

いのちはどこからやって来て、どこへ向かっていくのだろうと、一度はその大きな問いにすっぽり浸かって途方にくれたことはありませんか。つまりは死生観ということですが、小さな子どもが真剣な顔をして、先のことを聞いてきたら何と答えてあげたらいいでしょうか。

 

「人はそれぞれに見合った星からやってきて、その星のもとで影響をうけながらこの世に生かされている。思い通りにならないこともあるけれど、心を大きく持ちながら、星の巡りに添って生ききればやがて還るときがやってくる。この世の終わりは同時にもとへ還ることであり、また永遠の命にあずかることでもある。」と、巡り合わせと永遠の命の循環は古い物語にはひとつの原型となって繰り返し語られてきました。

 

ヨーロッパ中世最大の恋物語と言われている「トリスタンとイズー物語」はまさに星の巡りのいたずらか、はからずも恋に落ちた二人が次々と襲いかかる試練によって愛を深めながらもこの世では結ばれることなく、死によって永遠の愛を成就するという物語です。よく知られたシェークスピアの「ロミオとジュリエット」はこの物語がもとになっているとのこと。

 

「トリスタンとイズー物語」はフランス人のベディエなる人物が5、6世紀ごろからヨーロッパの各地に口承伝説として広まっていたケルト神話のひとつの駆け落ち譚の流れを集めてひとつの物語に仕立てたものでありますが、ベディエによる編集以外にも様々なバリエーションで同名の物語は幾つも残されています。いずれも共通するところは媚薬という人の理性を惑わす薬が二人の運命を変えてしまうというところです。本来ならば惹かれてはならない立場の二人が召使いのあやまちによりはからずも媚薬を口にしてしまった、故に世の掟に抗いながらもお互いを求め合い、自らの熱情と自己嫌悪をくりかえしながらやがて破滅を迎えてしまいます。もともとの気高い心根や高潔さがより尊い愛の形を求めてついには死にいたるのですが、それは同時に死によって霊魂による永遠の結びつきを示しています。

 

この悲恋の主人公たちがこの世で安らいでいられた唯一の場所が森でした。

 

深い森での生活は、黄金の髪のお妃であったイズーをすっかり変えてしまいましたが、世の掟や分別というこの世の重力から解放された森での日々はどれほどの楽しみを与えたことでしょう。

 

かつては金銀様々な光り輝く宝石をちりばめた冠を美しい金色の髪にかむり、雪のように真っ白いドレスに身を包んだこの上なく美しい王妃が、衣はいばらに引き裂かれ、やせて血の気の失せた様子で苔むした枯れ葉の上に座して恋人を待つ情景は、それを心待ちにしている心とは裏腹に、森が放つ死にも取り囲まれているように感じられます。恋人たちに用意された二人のための居場所となる森は、まるで死によって結ばれる結末を暗示するように、人の世とは別の顔を持つ、生と死を同時にはらんだ冥土の入り口、永遠の命の入り口であったのではないでしょうか。

 

梅雨時の鬱陶しい時期ではありますが、神話にもとづいたこんな恋愛物語もたまにはいいかもしれません。二人の運命をたどっていくうちについ、いのちの行く末を考えてしまうことでしょう。

 

 

 

トリスタン•イズー物語  ベディエ編 佐藤輝夫訳  岩波文庫

 

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

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2014年07月08日 / 

耕す絵画 文/内藤絹子

古墳

 

90年代後半頃に新たな制作環境を求め、パートナーと共に但馬地方の山間部のある集落に移り住んだ。この地域は年間降水量が多く、但馬牛はこの雨の恵みによって新鮮で豊富な草を食べて健康に育つ。国道から少し入り、周りが山で囲まれた30軒ほどの集落で南側には八幡宮(厄神さん)がある。一年で一番寒い日の夜中から朝方に参拝する厄神祭は、屋台も出て賑やかになる。参拝道の脇に 置かれた天保4年と彫られた狛犬も珍しいもので愛嬌があっていい。

 

神社の右奥にあるご神木は数百 年の椎(しい)の老木だ。近年の落雷や台風でほとんど折れてしまい、包帯のようなものが巻かれ賽銭箱を添えてもらい立っている。厄神祭の深夜零時にこの木に神が降りてくるといわれており、村人 たちはこの木の前で祈祷をする。辺りの風景は田んぼや黒豆畑の田園が広がり、古墳も点在している。調査によると、古墳時代後期(5世紀末〜7世紀)の大小の前方後円墳や円墳〔写真上no.1〕がこの集落だけでも50基あり、但馬地方だけで8千基以上あるという。全国でもまれな古墳密集地域だ。太古には大陸から海を渡り、円山川を遡ってやって来た人々がいたのだろうか。

 

 

移住当初はコンビニも24時間営業の店もなく、夜の「闇」というものを日々の生活の中で意識していった。宇宙や暦に関心を持ったのもこの頃だ。山陰の長い冬は寒い日が続く。私たちの仕事場は 氷点下になることはないが、寒いので身体を動かさずにはいられない。白い息を吐き、薪ストーブで 沸かしたお湯で手を温めたり、焼き芋を焼いたりする。長い冬を終え、訪れる春の芽吹きの観察は心 も和らぐ。

 

やったこともない土いじりを始め、食べるだけの季節の野菜を毎年作っている。真夏は首に濡れタオルを巻き、扇風機の首を上に向けて制作をする。風で紙などが飛んだりし、集中力が切れてしまうからだ。とても訪問者に見せられる格好ではない。できるだけ自然に近い状態での制作現場は、身体を意識せざるをえない。そのような環境の中で私の作品は生まれる。絵画制作を継続しながら個展などで作品を発表する20年ほどの生活は幸いに今も変わらない。

 

 

草取りしながら

 

古民家の空き家で5年間暮らしていた頃、和紙に描いたドローイング作品<草取りをしながら> (1995 年) 〔写真 上no.2〕は、この「土地」に来て初めてできたものだ。「こわす、生まれる」などと葛藤 をしながら勢いのある文字が描かれている。土の上に和紙を敷き、その辺に転がっている石を置く。 燃やした木の灰でインクを作り、その辺の草の汁で色を塗る。身の回りにある素材と共に、自分の思 いや感じたことを言葉や文字で描いていく。四季のある生活や農作業の過程や知恵から学ぶことは多い。土を触り、その手で描く。雨風や草木、虫、空気、石、あらゆるものの「声」や浮いては消える 泡のようなものなど感じたことを描き続けてきた。それは、はっきりとした言葉ではなく、「声」や「音」も含んだ目にはみえないものだ。

 

一つ一歩一粒

 

今から12年前に同じ集落奥の山側に今の住まいとアトリエが建てられた。田んぼだった更地にコツコツと「庭」をつくり始めた。日本の伝統的な庭ではない。別の集落にあった廃屋の不揃いな庭石 を頂き、近くに住む知人の彫刻家の協力を得て、真砂土で平にした適当な位置に5〜6個置いてもら った。それから家の横の河川工事から出た残土を 2トン・トラック2〜3杯ぐらい運んでもらい、小さい盛り山が3つできた。そこに一年中どこかで花が咲き、実をつける木を植えていった。元々あっ た柚子や茶の木はそのまま切らずに今もある。園芸店に通い、どのような花が咲くのかも知らずに植 えたものもある。しかし土地に馴染まないものはもう枯れてしまった。隣人や知人から根付きの植物 を頂いたものや鳥が種を運んできていつの間にか生えたものもある。柿やグミの木は知人からいただ いて食べた後の種から育ったものだ。

 

私の作品に<一歩>(2004 年) 〔写真 上no.3〕がある。庭に一粒の 種が落ちて新しい生命が根付くように、私が使っている白い紙も庭や畑のようなものではないかと考える。私の制作行為とは画面の上に一粒の精神の種を蒔いて耕すことと同じなのだろう。柚子の実は 薬味やジャム、ポン酢、入浴剤となる。一つ一つの行為は次に繋がっていき、最後には全てがこの自然界の循環運動となっていくのだろう。最近は庭の木々は剪定と追肥ぐらいで歩くところだけ草刈りをする。あとは自然のままにしている。

 

庭

 

庭2

生活環境が制作に影響を与えていることは感じていたが、今回、文章を書くことで自覚するよい機会となった。今は小さな森になってしまったこの「庭」〔写真上no.4or5〕 は、数々の思い出があり、訪 ねてきた人に語るのも楽しみの一つとなった。眺める庭ではなく、生活や制作と一体化した「庭」に なっている。

 

2014 年

ネムの花が咲く6月 内藤 絹子

 

写真、上から順に

[photo no.1]
黒豆畑と古墳。手前が円墳、奥が前方後円墳。2014.6

 

[photo no.2]
<草取りしながら>Kinuko Naito   1995  / 70×140cm

 

[photo no.3]
<一歩> Kinuko Naito2004  / 70×50cm

 

[photo no.4,5]
仕事場の窓から見える庭  2014.6

 

 

内藤絹子 プロフィール
1970 年大阪府生まれ。造形作家。京都精華大学で版画や紙造形を学ぶ。 大阪下町で無名の人々の落書きに触発され、作品制作を始める。1996 年に兵庫県但馬地方に移住。 関西を中心に個展やインスタレーションなどを行いながら、多くの作品を発表する。

2014年07月07日 / 

私の、庭。 文/鳥畑 純子

013

私が引き継いだ家は、平屋のL字型。

その一翼には、三つの和室と、それをぐるりと囲む縁側があって

座敷から低い視線で庭を臨めるよう、床高は低めに設計してあります。

 

主であった父は、数十年かけて気に入った灯篭や竹垣、水琴窟を設け

自分の好みの庭に造り込んで行きました。

時が過ぎると、100坪あまりの庭の手入れは、

老人の手に余るようになります。

楽しむ余裕を失った主は、庭が崩れて行くことを恐れるように

ひたすら樹木を刈り込んで、枝葉が伸びることを許しませんでした。

滋養を蓄えることができず、焼けつく夏の日差しに晒された木肌は精気を失い

葉陰を失った苔は赤茶けて

気が付くと、地面を覆う豊かな緑は消えていました。

白茶けた形骸を残して、父も帰らぬ人となりました。

 

精気のない荒れ果てた庭を前に

『お父様は、一人でよくここまで頑張られましたね。

ご苦労なさったと思います。』

再生工事を依頼した庭師さんの言葉に、私は父の深い孤独を感じました。

この庭の記憶を、この場所に込められた思いを知りました。

 

日本の庭といえば日本庭園。

非日常的で、完璧に維持管理され緊張感があります。

病体でありながら格闘し続ける父は、

『完璧な庭』に囚われているように見えました。

描画の才があった父のイメージは、父を縛りました。

削っても削ってもイメージどおりにならない苛立ちともどかしさ、、、

 

私の役目は、それから解放すること

熟練庭師さんたちの手で、ひと月かけて庭は息を吹き返しました。

水琴窟周辺は水の流れ、水音を感じる一角。

船に見立てた船石の傍らには、寒椿の帆が風を受け海原を進みます。

足下の飛び石から視線を上げると、初々しい若葉越しの青い空。

庭石に腰を掛ければ、天と地を繋ぐエネルギーの流れを感じます。

 

私も庭と一体になって、閉じ込められた無意識が解き放たれて行きます。

父と方法は違いますが、私も庭に寄り添い

思いを積み重ねていくことになるでしょう。

 

庭はなにかを映す雛形で、人によって見えるものは違いますが

小さくて大きい宇宙なのかもしれません。

 

 

鳥畑 純子

 

島根県松江市在住。専業主婦として過し、子供の独立を機に、縁側と庭が一体となったフリースペースを開業。「日常の少し先にあるもの」を目指している。

2014年07月07日 / 

本の話 vol.5 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

vol.5   森についての本 Ⅴ

 

写真

 

 

この連載を機に、「森」という言葉を手がかりに本を探していくうちに、私自身が、日本における「森」は単に樹木の生い茂る自然の有様を示すだけではなくそれを不可分な領域として特別視し、崇める「聖域」の入り口であり、拠り所となっていたことをあらためて知ることとなりました。

 

連載の最初の頃、森といえばヨーロッパを浮かべていましたが、日本における「森」が何であるか知るにつれ、そこに今見ておくべき大切なものがあるという気持ちを次第に強くしております。

 

その森が今や様々な事情で失われてきている。開発によって様変わりしていくことは同時にその周囲の人々の営みも変えていくことでもあります。なかには古来より続けられていたことが根こそぎ無くなることもあるでしょう。長い歴史の中では当然のようにその時代に応じた変化は生じるものではありますが、千年単位で守られてきたものがいつのまにか無くなっていくことに対して、なんとか出来ないものか、という思いを募らせている人は少なくないと思います。

 

今回ご紹介する本は、なんとか出来ないかという思いを、日本各地で連綿と続く暮らしを見つめるところから、絶やすことなく次に繋げる一歩にするべく創刊された雑誌です。ジャパングラフという名前で一冊に一年以上かけて作られる雑誌です。そして一冊まるまるひとつの県を特集しています。創刊号の滋賀から始まり、岩手、愛媛、群馬まで発刊されて、5号目の島根はちょうど出たところです。

 

創刊号の冒頭に、「僕らが暮らす日本という美しい場所、、、、宝物のように豊かで美しい場所、、。」と続く挨拶文が載っていて、その言葉通りに各地に息づく暮らしが魅力溢れる写真と文章で紹介されています。

 

行ったことのない場所、見たことのない風景、そして会ったこともない人たちであるのに、妙に心が揺れる感じは何でしょう。

 

遠くに旅に出て、たとえば国道添いの家からもれる台所の灯りや、古い民家の二階に灯った蛍光灯の灯りが急に近くに感じられて、そこでの他人の暮らしが一気に胸をざわつかせることってないでしょうか。この雑誌にはそれに近いざわつきを覚えました。生きることは理想通りにはいかない。やむなき事情をいくつも抱えて重さと一抹の寂しさが常に背中合わせに進むもの。そんな人生の素の有り様が柔らかい表現の向こうにありありと見えてくるのです。誰しも一人の存在は寂しいものです。けれども、そこに「一人」をつなぎ止められる何かがあるから明るくたくましく進んでいける。それは家族であり、昔ながらの地域の輪であり、代々受け継がれていることに自然にのっかった暮らしであることを見せてくれます。

 

気分で何でも選びたいという「漂流」から、この雑誌は、地方に息づく暮らしを見つめることで、わたしたちをつなぎとめてくれるきっかけを与えてくれます。それはそのまま森の思想にも通じる気がしますが、偶然にもこのジャパングラフの代表であり編集長が森さんというお名前であるとは。意味深いものです。

 

 

JAPAN GURAPH ジャパングラフ

1 滋賀 (版元品切れ)

2 岩手

3 愛媛

4 群馬

5 島根(最新号)

 

 

★お知らせ

島根号の出版を記念して展示会およびイベントがあります。

2014年6月14日、15日 11:00〜18:00

清光院下のギャラリー  松江市外中原198−2

6月14日 14時からアナログ写真のワークショップ

15日 14時からトークイベント「暮らしを見つめる」

連絡先 090−8655−5126 森善之

 

 

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

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島根県松江市上乃木1-22-22

tel 0852-26-7846

2014年06月10日 / 

五感で捉える vol.5 文/小川敦子 イラスト/西山ゆか

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私は知る。楽しかった時間の輝く結晶が、記憶の底の深い眠りから突然覚めて、今、私たちを押した。新しい風のひと吹きのように、私の心に香り高いあの日々の空気がよみがえって息づく。(中略)
本当のいい思い出はいつも生きて光る。時間がたつごとに切なく息づく。
ー吉本ばなな「キッチン」〜満月

福武書店より

 

 

 

過去を振り返ることが、辛いことも多々ある。それでも、前を向いて、生きて行かなくてはいけないと思うことの切なさ。そんな想いに、やさしく光をあてるかのような、吉本ばななの言葉。そう、想い出はいつか光にもなりうるのだということを、思い起こさせてくれる。

 

キッチンは、大好きな愛読書のひとつ。初期の頃の作品の中で、最も好きな物語が、キッチンの後編「満月」である。互いに大事な人を亡くしてしまった男女二人が、どのような心情の変化で、乗り越えて行くのかを丁寧に綴った、温かな文章。

 

西山さんは、この文章を「海に浮かぶ月のよう」とイメージし、懐かしい想い出=紅い月として表現してくれた。言葉は、やさしい月明かりのような光にもなりうるのだということ。

 

 

 

2014年06月07日 / 

本の話 vol.4 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

 

 

 

vol.4   森についての本 Ⅳ

 

風の音、森の音に耳を澄ませる

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この連載の依頼を頂いた時に、ふと頭に浮かんだのは、「森」に関する本を自分なりに選んでいくことでした。

 

すると、タイミングよくまるで申し合わせたかのように、このマガジンを立ち上げた小川さんから森の連載も始まると言われ、小川さんの、森を再考すること、そこへ帰ることの大切さを思う気持ちがNIWA MAGAZINEの「実」であると、回を重ねるごとに感じずにはいられません。

 

では、日本人である私たちが森へ帰るとはいったいどういうことなのでしょうか。この問いに、充分に答えている本として、ご紹介したい本があります。鶴見和子著「日本を開く」。—柳田、南方、大江の思想的意義。

 

タイトルからすると難しい内容を想像しがちですが、読み始めると、どうして、これが一気に読める本なのです。講演録なので鶴見さんが聴衆に語りかけている言葉がそのまま文字になっている点で読み進めていきやすいことはありますが、とにかく鶴見さんが「日本を開く」というタイトルに学者魂をかけているのでしょう、凄みというか、その勢いが読む側にも伝わり、ぐいぐい引き込まれて言葉がすんなりと入ってきます。学者としての技量、そして個人の理知。鶴見さんの捉えた論の展開が発光しながら生きた言葉になって届けられている。ご自身が個人を開いて、そこに、時代を超えて、これからも生き続けていくであろう、あるべき日本の姿を示してくれています。

 

日本は西欧を手本として、独自に急速に近代化を成功させ、発展し続けている国だと自負してきた。それに対して鶴見さんは、急速に近代化されたこと、そのために失われたことを明確にし、批判をした上で、これからの日本の行く末に「内発的発展論」という持論でもって光の見える可能性を打ち出しています。そこには、人間中心の合理主義ではなく、自然生態系に含まれる人の営み、その洞察からエコロジーを、さらに畏敬の念をともなう民間信仰のアニミズムをむすびつけ、地球を守る思想が見られます。遠野に根ざした柳田国男のアニミズム。熊野の原生林、粘菌の採集、鎮守の森、その深い洞察が壮大な知の体系を生んだ南方熊楠。そして四国の森の谷間の村の伝承に向きあう大江健三郎のアニミズムと、この三者をとりあげて、彼らが徹底して地域に根ざし、特異性を打ち出していることに、日本を内側から開く可能性を見ているのです。

 

その三者の地域へのまなざしの背後にはそれぞれの森があります。柳田の森、南方の森、大江の森と。

 

そこを明らかにすることで、いかに日本人が森を通して、その地域独自の生きた思想体系を持ち、生を豊かに形成したかが見えるのです。

 

鶴見さんは晩年、病に倒れて肢体が不自由になってから後、感性が外へほとばしるように、素晴らしい短歌をいくつも詠むようになりました。鶴見さんの社会学者として送った人生は、その豊かな感受性があるからこそ、見過ごされ、踏みにじられるものに対してつねに公正に向き合う姿勢を貫いていたのでしょう。

 

明治以降という比較的近い歴史、近代化とは何か、それによって失われたものは何か。そこを見事にガイドしてくれるおかげで、ますます、私たちが未来に向けて進むために、「森」と向き合う意味が大きくなるのです。

 

写真

■「日本を開く」—柳田。南方、大江の思想的意義  鶴見和子著  岩波書店

※この本は現在は版元では在庫切れになっていますが、古書としては比較的入手しやすいものです。

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

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2014年05月11日 / 

五感で捉える vol.4 文/小川敦子 イラスト/西山ゆか

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Hahai no ka ua i ka ulua’ āu

 

森は生命の源。

 

 

 

数年前、単身訪れたハワイ。海が目の前にあるゲストハウスに滞在していたにも関わらず、私を惹き付けてやまなかったのが、鬱蒼と植物が生い茂る、森の植物だった。なぜ、こんなにも美しいのだろう。はかなげな美しさを持つ、日本の植物と違って、色やみずみずしさが、圧倒的に異なるのだ。そして、その生命力。ひとつひとつの葉や花々が、まるで「意思」を持っているかのように、存在する。以前、パイナップルの絵を書いてほしいと、フルーツの会社から依頼を受けたジョージア・オキーフが、滞在中、パイナップルの絵を一枚も描かずに、ひたすら森の植物を描き続けた、という逸話もあるぐらいだ。(オキーフが描いた植物の絵の内、数点は、ホノルル美術館で目にすることができる。)

 

私がハワイを訪れた最大の理由が、「ハワイアンレイ」について、深く知りたかったということ。ハワイのネイティブの歴史をしっかりと感じさせる、ある一冊の写真集と出会ったことがきっかけだった。レイとは、森で採取した植物をネックレスのように編み、首から下げたり、手首、足首につけるというもの。街中でも、フラワーショップならぬ、レイショップが存在し(そこでは、森の植物ではなく、タイなど熱帯の国から輸入された植物をメインに販売用として作られている)、ちょっとした御礼や御祝いに、プレゼントするという習慣がある。

 

その写真集は、ハワイの原住民であるポリネシアン系の美しい人々が、その土地の固有種(その土地にしか生息しないもの)を使ったレイを身につけるというものだった。いわゆる観光向けのものとは、全く異なり、まさに「神々しい」という言葉を表すかのような佇まいだった。そう、レイとは、本来、森に入る「許し」を得るために、自然の神様や森の精霊に捧げるもの。つまりは、お供えのためのもので、常に自分たちを守り、そして育んでくれる森に対して感謝の心を忘れないという、ネイティブの人たちの大切にしてきた想いがそこにはあるのだ。森と人は心も体も深く、とても深く繋がっているのである。

 

光、風、水。植物が生育するためになくてはならない、この3つの要素が、ハワイでは1年を通して揃っている。生命力に溢れた植物たちが集まる森は、人が生きていくために、なくてはならない「水」をもたらしてくれる。現地では聖地とされる、森の奥にある滝を実際目にしたとき、その圧倒的な力強さに、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。自分が「そちら側」に行きかけてしまうかのような感覚。「自然の力」などという、生易しい言葉で言い表すことはできない。自分自身は、自然の一部、または、物質のひとつに過ぎないのだということを、はっきりと思い知らされる。

 

Hahai no ka ua i ka ulua’ āu―森は生命の源。ハワイに伝わる、この言葉が意味することを、今、より深く知りたいと思うのである。

 

★イラストは、グリーンだけであしらったレイをイメージして、西山さんに描いてもらったもの。「Palai」、「Maile」という2種の樹木の葉と蔦を絡めて作られるこのレイは、主に男性が身につけるもの。数年前、彼女には、このレイのイラストを幅3メートルの生地に描いてもらい、パウ(フラダンスで女性が纏うスカート)をイメージした、ふんわりとしたボリュームのあるスカートに仕立てた。

2014年05月07日 / 

本の話 vol.3 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

vol.3   森についての本 Ⅲ

 

 

写真

 

 

いったい森とはどんなところなのでしょうか。

 

森の情景を思い浮かべると、木々の合間からふりそそぐ木漏れ日や、頭上でさえずる鳥の鳴き声、木々のざわめき、密度の濃いそれでいて澄んだ空気など、それは私たちにとって、とても心地の良いものです。けれどもその一方で、森をどんどん奥へ奥へと進むにつれ、次第にそこは私たちの慣れ親しんだ世界とは異質なものとなり、ついには人がおいそれとは足を踏み入れては行けない未知の領域が広がる世界なのではないでしょうか。

 

その未知の領域に、たった一人、15歳の少年が何の装備もなく突き進むシーンがとても強く印象に残る小説があります。村上春樹の「海辺のカフカ」です。

 

この長い小説には森が出て来る場面は、主に後半部分に何カ所かなのですが、読み終わると森の印象がとても強く残ります。

 

主人公はチェコ語でカラスという意味の「カフカ」という名前を持つ15歳の少年。15歳といえば、自分の人生の入り口に立っていることを自覚し始める頃です。他者と自分の違いがうまく呑み込めずにそれまでとは違った質の孤独がやって来る頃。そんな15歳の少年が、この小説の中ではさらに、ぬぐおうとしてもぬぐいきれない圧倒的な強い恐怖と怒りに支配されていきます。

 

物語の後半に、少年はひとりの人物によって森に身をひそめているようにと連れて行かれます。ところが次第に自らの意志で、さらにもっと森の奥へ向かう決心をします。一人で森と対峙していくうちに、迷宮の入り口であった森は、それ以上の深い意味を帯びて目に映ったのかもしれません。ふたつの相対する世界の「際」。そして「入り口」としての「森」。たった一人で自分の運命と向き合う少年に対して、「森」はこの世の大切な秘密を示してくれたのではないでしょうか。

 

増大し続ける少年の恐怖と怒りが彼の存在を呑み込んで無になるかという「際」に、少年の中で大きな切り替わりが起こりました。それを意識から無意識の世界と捉えるならば、少年はその「際」において覚醒し、新たな意識で森の再奥へ進む覚悟へと至ります。そこには見えざる手があらかじめ差し伸べられているかのように、同時進行でくりひろげられるもうひとつの話が絶妙に絡み合っています。そんな見えないけれども大いなる他者との結びつきが、高いところからの御技(みわざ)のように豊かに織りなされていて、そのただ中で、少年はしかるべき時にするべく森の中核へと足を踏み入れていく。その時、森は単なる迷宮ではなくなっています。

 

少年にとっての森が意味するところはとても深くて大きいものです。ここでの森が果たして何であったか。おそらく繰り返し読み直してみてもその度に新たな意味が発見出来る大きな物語です。

 

海辺のカフカ (上)(下)  村上春樹  新潮文庫

 

 

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

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2014年04月13日 / 

五感で捉える vol.3 文/小川敦子 イラスト/西山ゆか

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「美しいもののうしろには、美しいこころがある」

 

浅川伯教

 

 

柳宗悦を東洋の美に目覚めさせた陶磁研究家、浅川伯教の言葉。ものの美しさを捉える力。それは、ものの裏側に秘められた、作り手のこころをどこまで感じ取ることができるか、にかかっている。デザイン、コンセプト、スタイル。私たちは、そうした「くくり」でものを捉えてしまうことが多い。でも、その「くくり」は一体、誰のためで、何のためなのだろうか。今一度、考えてみてほしい。特定の誰かのための利益、また、それを所有しているという自身のプライドのためになっていないだろうか。また、その「くくり」を持っているという、安心感だろうか。

 

本当にものと向き合うには、自分のこころが素っ裸になったような、なににもとらわれない、静かなこころが必要になる。そうして、自分の手元にある「もの」は、暮らしも、自身のこころもより豊かにしてくれるだろう。作り手が、なにかを純粋に考え、そして祈りをこめて作った「素」のもの。「素」と出会ったときのこころは、静かに震えてくるものである。

 

人の「手」こそが、「素」を生み出し、そして、本当の豊かさをもたらしてくれるのではないだろうか。

 

今回の、浅川伯教の言葉は、2011年9月の雑誌クウネルで特集された、スターネットの主宰者・故馬場浩史さんのインタビューより抜粋した。私自身は、実際にお会いしたことはないのだけれど、何かに迷いそうになるたび、この特集をいつも読み返すことにしている。読み返すたびに、発見があり、学びがある。「こころの部分さえ伝われば、眼に見えるものなんて本当はもういらないくらいなんだ」。こころの奥底に響く、馬場さんのメッセージ。

 

「美しいもののうしろには、美しいこころがある」。こころの眼で、ものを見る。

五感で捉えるということが、これからの暮らしを、もっと豊かにしてくれるように思うのである。

 

2014年04月07日 / 

本の話 vol.2 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

vol.2   森についての本 Ⅱ

 

 

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前回、「フィンランド 森の妖精と旅をする」というタイトルの本をご紹介しました。森の国と言われるフィンランドの、森とともに、そしてその自然の脅威と向き合いながら聖なる領域との交感であった太古の風習を、美しい写真とともに紹介している本でした。

 

今の時代、私たちは、森を切り開いてそこに真っすぐに走る高速道路の上を通って短時間で遠くへ行ける暮らしを獲得しています。高速道路はきちんと管理され安全が保証された状態を保ち、車にさえ乗れば誰でも通ることが可能です。その一方で道路の真下には今も深い森が広がっています。何千年、何万年と止む事なく生成される大地と私たちの暮らし。かつて私たちの祖先はその大地にわずかな道具だけで生を全うするための知恵と術を持っていました。日々刻々と変わる自然の様子をとらえて、声なき声を聞き、見えざるものを見ていた時代。自然から受け取るメッセージはどんなに豊かだったことでしょうか。

 

高速道路を象徴とする便利ではありますが常に管理を必要とする私たちの社会も、じつは太古からの生成と一体になってその上に築かれています。それがいつのまにか上に架けられた高速道路に価値があり、必要としており、その下に広がる森は遠い存在になりました。高速道路と森、本来は二つで一つの現実が、次第に一方に傾き、今では全く森と向き合う必要のない暮らしをしています。ここであらためて「森」という言葉が持つ響き、意味を見ていきますと、「森」には、木々が生い茂る豊かな自然の様子と、さらに、人の踏み入れないその原始の状態から、私たちの日常に感知出来る認識を超えた深い心の領域を象徴する言葉としての意味も含んでいます。私たちの無限に広がる心と、「森」の、自然において残された原始の状態。私たちはふたたび「森」に向かい、失いかけた一方をとりもどす時を迎えています。とはいえ日常的なこの唯物的な思考の傾きをどうしたらよりしなやかで調和のとれた心の状態にもっていくことができるのでしょうか。

 

 

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「童話の世界は、地上と天界の中間にあって、地上から天界への橋渡しをするものと考えられます」と、これはルドルフ シュタイナーがメルヘンについ述べた言葉の一部です。シュタイナーは、日本ではまずシュタイナー教育という言葉でその教育論が紹介されてきましたが、それは彼の打ち立てた人智学という壮大な学問にのっとった言及の教育の分野に焦点をあてた一部にすぎません。シュタイナーは真の人間の在り方を、古今東西の太古の英知から汲み上げられたものと照らし合わせながら、今の時代にかなった在り方を示した人です。

 

そして、メルヘン、真の童話の誕生は、人の手に寄る創作の域を超えて、発生の源を太古の時代に有している。そこでは、霊的神秘を物語ることの出来る人からよく耳をすまして聴くことで生まれたものだと言っています。難しい言葉です。よく頭に入らない言葉ではありますが、つまり、神話やグリム童話などメルヘンを読むことは、太古の時代に人々が持ち合わせていた、「森」、自然への豊かな感応、そこには目に見えない霊的な精妙な働きも感知することが出来た豊かな感受性をとりもどすことにもなると言っているのではないでしょうか。こう書くと、ますます思考を強要するようですが、森で英気を養うように、メルヘンを読むことは、心に栄養と休息を与えるということなのです。

 

たまには、何も考えないで、物語の世界に遊ぶのもいいでしょう。それは誰にとってもなつかしい再奥の故郷から授けられるよきイマジネーション。そして小さいお子さんがいらしたら、繰り返し、メルヘンや昔話しを語ってはいかがでしょうか。小さいお子さんにこそ、その故郷から汲み上げられたお話はこの世で揺りかごのように安らぎと安心を与えるものとなるでしょうから。

 

■「泉の不思議」—四つのメルヘン  ルドルフ•シュタイナー

(西川隆範 訳、解説)イザラ書房

 

■「メルヘン論」ルドルフ•シュタイナー

(高橋弘子 訳)書肆風の薔薇

 

■子どもに語る「グリムの昔話」(佐々梨代子•野村ひろし 訳)

こぐま社

 

高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

 

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2014年03月07日 / 

五感で捉える vol.2 文/小川敦子 イラスト/西山ゆか

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Food is beautiful
All hand all small
Life in nature

 

June Taylor

「而今禾の本」 米田恭子著(中央公論新社)より

 
サンフランシスコでオーガニックのジャムをつくるJune Taylorの言葉。はじめて目にしたとき、私の中には「美味しい」という言葉が浮かび上がった。

 

自然という営みの中で

すべてを手により、そして、小さな輪の中で。

そうしてこしらえた「食」こそ、美しい。

 

この言葉の意味はとても深く、「自給自足」「地産地消」という言葉だけでは、その真意を言い表すことはできない。人としての原点の姿がここに現れているように、感じられるのである。「手仕事」は暮らしの基本であり、またその暮らしは、人の手、そして、誰かを思いやる心で成り立っている。その最たるものが、毎日の「食事」。自然と向き合いながら、こしらえる「素材」。その素材を活かし、家族のため、大切な人のためにこしらえた「食事」こそが、「手仕事」の原点だと思うのだ。

 

June Taylorの言葉を伝えたとき、イラストを描いてくれた西山ゆかさんから湧いたイメージは一枚の皿だった。

 

「味わうというのは、私の中で、つないできた命に感動し、感情が動くという解釈をしています。命を育み、そこに広がる世界。器の中に宇宙があるというように思います。」

 

一枚の器から、広がっていく景色は、とてつもなく大きい。

食卓という小さな輪から、大切なことがすでに始まっているのだと。

「美味しい」という言葉の背景にある姿。

「美味しい」という言葉の意味を、今一度、深く考え、感じたいと近頃は思うのである。

 

2014年03月07日 / 

森偏愛記 vol.1 文/福田真視

1.はじまりは祖父の庭

 

30年前の庭

「なぜ森へ行くのか」最近人によくそう尋ねられる。確かに、仕事であると同時にライフワークである旅においても、いつの頃からか、行き先を森に定めることが多くなった。今回、「森について書いてみませんか」という話を頂き、かの質問に真面目に向き合ってみようと思った。そうしていくうちに、幼い頃のある想い出が鮮明に蘇って来た。

 

私は、幼少期のほとんどを祖父母の家で過ごした。賑やかな街の一角に建つ家だが、祖父が大の動植物好きだったため、広い庭は生命に満ちあふれていた。思い返してみて不思議だったのは、池に泳ぐ鯉よりも、そこに居候するアメンボやタニシ、庭を闊歩する鶏よりも、彼らがついばむミミズや昆虫、実り豊かなバナナやオリーブの木よりも、その木陰で胞子を飛ばす苔やキノコ、美しい花をつける椿やツツジの盆栽よりも、主人の手を煩わせる雑草たち、私が興味惹かれるものはいずれも、庭の侵略者〈日陰の住人〉ばかりだった。そして飽きもせず、毎日朝から晩まで独り遊びに没頭した。夜は夜で、その日に見つけたムシや花を図鑑で調べることに一生懸命だった。幼い私にとって、祖父の庭は立派な森だった。そんな中もっとも夢中になったのが、「石返し」。どういうわけか、物心ついた頃から石が好きでたまらない。おそらく父の影響だろう(彼は鉱物を研究している)。大人になった今、その想いは地学や鉱物への興味に発展している。あの固さ、美しい佇まい、手にした時のひんやり感、すべてが特別。いつの間にか、石を拾い上げては土を払い、ポケットにおさめることが常となった。

 

そんなある日、掌に載せるには少々大きすぎる石が目に留まった。屋根まで届くノッポなオリーブの木に、寄り添うようにして鎮座する石。片手で引き抜こうとしてみたがビクともしない。そこで両手でぐいと押し転がしてみた。「ヒッ!」裏返った石の裏を目の当たりにした私は、小さく悲鳴を上げた。そこには、突如白昼にさらされた無数のムシたちが蠢いていた。その気味の悪さたるや!けれど、おぞましいと目を背けたのも束の間、見下ろす光景の奇妙さに意外なほど魅了されはじめた。蜘蛛の子を散らすような勢いでふたたび闇へと駆ける節足動物。きらきらと反射する粘液をはきながら、のそりのそりと這い惑う環形動物。脈打つ血管のように有機的な姿で、石を覆うカラフルな変形菌。猫の額ほどの石の裏に、私は宇宙を見た。以来、虫眼鏡を片手に、庭中の程よき石を裏返してまわった。全身に鳥肌が立つのを感じながら、筆舌尽くしがたい快楽に浸っていた。

 

赤い実

考えてみれば、気味が悪いという感情は、かなりレアで高等な感覚かもしれない。恐怖、当惑、好奇、探求、おかしさなど、あらゆる感情が混ざり合ったものだから。多分、五感を総動員させても足らない感動を孕んでいる。現に、私は祖父の庭で未知の感動を味わった。そして今日の森狂いに至っている。ちなみに気味が悪いという感情は、畏怖の念へと昇華した。なにしろ森はすごいのだ。樹の幹一つとっても発見の連続。朽ち木などみつけようものなら、宝の山に出くわした感。そもそもあれほどまでに雑然とした空間でありながら、落ち葉一枚、ダニ一匹、なに一つとして無駄がないというのだから感心する。祖父の庭で〈日陰の住人〉扱いされていたものたちが、自然界の主要キャストであったことにもおのずと気づく。好奇心過多の私にとって、これほどあつらえ向きの場所はない。

 

それともう一つ、森は芸術とよく似ている。どちらも創造と想像の自由を与えてくれるし、気づきを授けてくれる。学生時代より、私は世界中のギャラリーや博物館をめぐり歩くようになった。そうしていると、普段、点で存在している自分の興味や思考、状況や環境、人間関係、感情などが、作品を通して線で繋がり、有意義な問いや答えが生まれる瞬間に出くわす。偶然の必然を知ることは、実に不思議で面白い。一見すると森は、人が住む俗世間から切り離されたような場所であるけれど、人が生み出す芸術とよく似た働きをする。いやむしろ、野生を呼び起こし、孤独を強いる環境ゆえ、感性が研ぎ澄まされ、前述のような幸運な瞬間に出会える機会は多いかもしれない。つまり、ギャラリージプシーの私が森を乞うようになったのは、当然の成り行きだったといえる。

 

椿

今や、森は私の日常を侵食しはじめている。例えば、仕事のアポイントが午後にずれたと聞けば、これはしめたと近所の森を散策してから出社する。取材先で空き時間に恵まれれば、近くに森はないかとすぐさま地図を広げる。週末ともなれば公共機関を駆使して(私は免許を持たない)、長い休暇には国境を越えて、一目散に意中の森を目指す。一方で、しばらく森と離れた生活が続くと、発作のような寂しさに襲われ、夢を見る。気に入った森が見つかると、足繁く通い詰め、そこがどんなに素晴らしい場所であるかを友人に説いてまわる。この感覚は、もはや恋に近い。知れば知るほど想いは膨らみ、身を寄せれば心が満たされ、美しい知恵と健やかな刺激を得る。その圧倒的な存在を前に、私はとても素朴な気持ちになる。

 

幸か不幸か、森は世界中にある。よって、私が以前にも増して風来坊になるのは仕方がないこと。「なぜ森へ行くのか」その答えはいたってシンプルだった。「そこに森があるから。森に恋をしてしまったから」それに尽きる。では、祖父の庭からはじまったこの旅は、いったいどこでゴールを迎えるのだろう。それについては次回以降、これまで訪ねた各地の森の記憶を辿りながら、考えてみようと思う。

 

 

※ 写真はすべて祖父の庭で撮ったものです。

■写真一番上 30年前のある春の日。鯉の稚魚を守ろうと、烏や猫と格闘していた祖父を思い出す。

 

■写真二段目 主を亡くした今も、庭は現役。緑の手を持つ祖父の小屋は今も農具と工具でいっぱい。

 

■写真三段目 まもなく椿が満開の頃。落ちた花弁を掃き集め、堆肥を作っていたのは祖母だった。

 

 

福田真視 (フクダマミ) プロフィール
編集・文筆業
転勤族な生い立ちと旅好きな両親の影響で、物心ついた頃からさすらいの日々を送る。大学留学時代、写真家志望の親友の影響で美術の世界にのめり込み、以来、世界の美術の現場を訪ねることが旅のテーマに。帰国後、旅行雑誌の編集部に所属。現在はフリーランス。旺盛な好奇心を活かして、様々なカテゴリの記事を執筆。今もっとも興味があるのは、鉱石と菌、つまりは森。

2014年02月13日 / 

本の話 vol.1 文/ book & gallery DOOR高橋香苗

vol.1   森についての本 Ⅰ

 

この世に立ち現れる現象の背後には必ず見えない世界の計らいがある

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■「フィンランド•森の精霊と旅をする」  プロダクション•エイシア発行

 

「木と森を愛するすべての人へ」と、冒頭に捧げられた小さな本があります。小さいけれど、一気に未知の世界へいざなってもらえる本。いいえ、もしかしたら未知ではなく、自分自身の意識が上る前から知っていたかもしれない世界へもどらせてもらえる本かもしれません。「フィンランド、森の精霊と旅をする」というタイトルのこの本には森について考えを巡らせるための多くの示唆がちりばめられています。といって、難しい読み物では全くなく、どのページも一編の詩、もしくは物語としてページの向こうから語りかけてきます。思わすじっと目をこらしてしばらく眺めていたい写真と文章。ここに紹介されているすべてが、長い歳月をかけてフィンランド中を歩き回り集められた貴重な記録なのです。フィンランドと言えば森の国をイメージしてしまいますが、経済効率による環境破壊が貴重な森をどんどん破壊しているという事実。だから森を、木の民である自分たちの根として、物質的存在を超えたもの、深い信仰とともに生と死を結び安らぎを与えてくれる聖域として枯れることなく生き延びてほしいという願いがこの本にはこめられています。そしてその願いの先が、プロダクションエイシアという映像制作会社の代表であり、ドキュメンタリー映像作家の柴田晶平氏はじめスタッフの手による日本語版となって2009年に出版されました。フィンランドの森が与えてくれる大いなる恵み、そしてその森の記憶はこの小さな本を開くたびに呼び起こされるのです。

 

森と、その森の向こうには何が見えるのか。

 

森をよく見ることはわたしたちの精神の土壌を振り返ることでもあると、この本は読む者の中に眠る遠い記憶と共鳴しながら教えてくれます。

 

写真

 

 

■「森をさがす」林田摂子写真集  ROCKET BOOKS 発行

 

何故ここに赤い長靴があるのだろう。山羊を抱えた少女のまなざしは何を見ているのだろう。森、白いボート、食べかけのケーキ、墓地、泳ぐ人、この写真集に収められた写真には、ついその前後の脈絡を知りたくなるひっかかりを覚えます。時間の流れから放り出されて、むき出しのままついに定着された一瞬、一瞬。本来は悠久の時間軸に葬られるものが、はからずも写真となって固定されてしまった時間。それは人の手による記憶されるべき時間ではなくて、まったく気まぐれに、何かの拍子につまみ出されたようにも見えます。だからその定着された「一瞬」の前後のストーリーがとても気になるのです。

 

林田摂子の写真集「森をさがす」が持つ不思議な「間」は時間のスペースを与えてくれます。気になってよく見ていると、写真がその前後を語り始める。まるで撮られる前と後の時間を内包しているかのように。

 

あるとき林田さんは語ってくれました。「当時は写真を撮ることで自分の居場所を確かめていたのかもしれない。」フィンランドに渡って、親しい人の家に泊まり、そこで送る日々。写真を撮るために海を渡ったのではなく、まるでライナスの毛布のようにしてカメラとともに流れた時間は、すべてが均一で、それでありながらかけがいのない時間であったことでしょう。撮ろうが撮るまいが変わりなく均一に。

 

「今」をかけがいのないものとして見ている真摯さもありながら、まるで肩の力の抜けた「間」によって、見るものに自由に物語を見せてくれるこの写真集。「森をさがす」林田さんの視点は、写真に定着された一人一人の「生」に自然に寄り添いながらその人の内側の「森」にも充分に向いていたのではないでしょうか。カメラとともに居合わせた一瞬を、永遠の居場所にするために。

 

 

2014年02月07日 / 

五感で捉える vol.1 文/小川敦子 イラスト/西山ゆか

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To see a World in a grain of sand,
And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,
And Eternity in an hour.

Auguries of Innocence by  William Blake

 

ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる

 

無心のまえぶれ

ウィリアム・ブレイク(寿岳文章 訳)

「ブレイク詩集」岩波文庫より

 

 

言葉の世界に浸りながら、その情景を想像するとき、心の中の風景は色々な色と音と光に包まれる。そこから受けるインスピレーション。 何を表現し、何を持って伝えるのか。それぞれのクリエイションの在り方は違えども、心の中の風景を形にしていくということには変わりはない。風を感じ、光に包まれ、耳を澄ませて感じ取る。その一瞬をどう捉えるか。ウィリアム・ブレイクが編み出す言葉の世界には、そのマジックがありありと隠されているのだ。

2014年02月07日 / 

出雲民藝紙 文/小川敦子

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出雲民藝紙ー。

それは、人の手によって生み出された、植物のアートである。

楮(こうぞ)、三叉(みつまた)といった森の植物が和紙の原料となる。最近では、紙専用に植物を栽培しているそうだが、雁皮(がんぴ)に限っては、注文を受けた分だけ、近くの森にいって収穫し、紙に仕立てるそうだ。つまりは、それだけ貴重な植物なのだ。

 

今回、松江でエキシビジョンの会場を飾るものとして、出雲で作られた和紙に、古の森の情景と空に浮かぶ月を描いたもの、と決めていた。描いてくれたのは、イラストレーターの西山ゆかさんである。西山さんのタッチは、水を多く含ませる独特の手法をとるため、「水に強く、にじまない和紙」というのが条件としてあった。そんな都合のいい和紙はないだろうと、半ば諦めていたとき、doorオーナーの高橋さんが、和紙を使いたいなら、安部さんという方が作る、出雲民藝紙がおすすめと聴く。

 

いろいろと調べてみると、写真家の方と一緒に開発されたという、印刷用の大判の紙を製造されていることが分かり、早速工房に連絡をしてみる。それは、1枚が63センチ×1メートルもある、あまり聞いたことのない、かなりの大判のサイズだった。そのサイズの理由は、後から知ることになるのだが、とにかく、その紙は、天日干しによって、白く仕立てるため、漂白剤は一切使用していないということ、水に強いことなど、突然の電話だったにも関わらず、安部さんは丁寧に応えてくれた。

 

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濃密な連日の打ち合わせと、私の容赦ないチェックも無事に終わり、西山さんは12点もの絵を無事に描き上げた。(毎回、彼女との仕事は、涙なくしては語れないのである)

会期の前に、この紙が出来上がる現場をどうしてもこの眼で見ておきたくて、安部さんにしつこく手紙を書き、見学させていただくこととなった。工房は、八雲という松江から車で30分ぐらい走ったところにある。のどかな山の風景。

 

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到着したときは、紙の成型は終わり、薪を焚いた「アイロン」で、職人さんが紙を仕上げているところだった。薪のぱちぱちと鳴る音と、柔らかな日差しが心地よい場所である。職人さんの動きに一切の無駄はなく、どんどん仕上がった紙を重ねていく。私が訪れた日は、藍色の紙をオーダーを受けて1000枚近く作っておられた。

 

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そして、別室では、若者からおばあちゃんまで、年齢層は幅広かったのだが、5人ぐらいが輪になって、和紙にする前の植物の不純物を取り除く作業をされていた。この果てしない作業を終えて、細かくした原料を水に浸し、まるで薄い豆腐を作るかのように、紙に仕立てていくのである。染色は、この時点で行うそうだ。

この工房・出雲民藝紙は、現在のオーナーである安部信一郎さんの祖父、安部榮四郎さんが開かれた。島根県という土地は、「民藝」を提唱する柳宗悦が訪れて、様々な指導を行ったことでも名高いが、安部さんもその内の一人である。漉き方、色の入れ方、仕立て方ー。和紙を芸術の域まで高めたのが、この出雲民藝紙なのだ。当時、そのような影響もあったからか、和紙をただ単に、書としてだけでなく、襖用の紙にすることで、暮らしの中に取り入れることを提案したそうだ。1枚の紙の大きさが、63センチ×1メートルというかなりの大判のサイズになった理由は、ここにある。横置きの紙を3枚貼り合わせることで、ちょうど一枚の襖のサイズになる。

 

記念館の方では、よく松江に滞在していたという棟方志功が、安部さんの和紙で仕立てた襖に描いたものを観ることができる。襖から飛び出さんばかりの勢いのある筆遣いの絵。私は、しばらくその場から離れることができなかった。棟方志功用に配合した紙を、安部榮四郎さんは一枚一枚丁寧に作っていたそうだ。紙からオリジナルで仕立ててもらうとは、アーティストしては、最高に幸せなことではないか。

 

一枚の紙から生まれるもの。

それは、手仕事の賜物であり、芸術の極みだと思うのだ。

 

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出雲民藝紙工房
島根県松江市八雲町東岩坂
0852-54-0303

公益財団法人安部榮四郎記念館
島根県松江市八雲町東岩坂1754
TEL.0852-54-1745
FAX.0852-54-1745

 

 

 

 

 

2013年12月08日 / 

想・創・奏 sou/sou/sou 見る編 vol.03

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誰かに教えてあげたいお気に入りの本、ありますか?「この本いいよ!きっと○○ちゃんにぴったりの内容だと思うのでぜひ!」「この本に出てくるパリのカフェに行ってみたくて。今度一緒に行きませんか?」

「私はこの本を読んでちょっと人生観が変わったように思うの。もし良かったら読んでみて。元気出してね。」

「お誕生日おめでとう!この詩のように美しい年になりますようにと願いを込めて…この本を贈ります。」

などなど、メッセージを添えて、お気に入りの本を誰かに贈ってみませんか。

水平線、大地、海、星空、雪をイメージした文庫本のためのカバーです。
帯の部分にメッセージを書き込めるようにデザインしました。
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世の中にはたくさんの洗練されたグッドデザイン製品があり、どれもみな完成されていて美しいけれど、このブックカバーは、完成されていないものを創りたいという想いでデザインしました。そしてひとつひとつ手で穴を空けて、どんな本が誰から誰へ贈られることになるのだろうと想いを馳せながら作っています。贈る人が最後に手を加えることで初めて完成する、そんなものが創りたくて。
気持ちを込めたメッセージを添えて、丁寧に包んでリボンをかけて届けたら、きっとその本はスペシャルな一冊になるだろうと思うのです。なぜならば、買っただけのものに心を吹き込み、あなたの手によって創り上げられた、世界にひとつのギフトだからです。
誰かに何かを贈る”ギフト”。それは相手の喜ぶ顔や驚く顔を思い浮かべながら、何を贈ろうかあれこれと考える、そんなワクワクした時間が自分にも訪れるもの。贈る人も受け取る人も、みんなハッピーになれるから、ギフトっていいものですね。ほんのちょっとのひと手間で、小さなギフトが大きな思い出になる。
ぜひ、心のこもったメッセージを添えたギフトで喜びを奏でてみてください。

 

2013年11月07日 / 

月の本セレクト「明恵上人」に寄せて - 京都高山寺のこと 文/小川敦子

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京都市内から、バスで約50分。栂ノ尾山高山寺はある。明恵上人のお寺である。そこは、いかにも修行の場にふさわしい、森と共にある場所だった。参道に一歩入ると、そこは明恵上人の世界だ。雨にぬれた苔の香りが漂う。

石水院から眺める山々の姿。余りの心地よさに、南側の縁では雨音にたゆたうかのような大人たちが、のんびりと過ごしていた。私は、お茶をいただくことにした。ここは、日本最古と言われる茶園がいまでも存在し、境内ではお抹茶を点ててくれるのだ。池に落ちる雨音を聴きながら、お茶をいただき、心を無にする。贅沢なひとときだ。「夢想」するのに最適な場である。

実は、お茶を頂いている横で、大変興味深い「会議」が行われていた。海外から仏教美術展を開催したいというキュレーターが訪れ、齢80は超えていらっしゃるというご住職がいらっしゃった。ちなみに、ご住職は女性である。とても、深くてやさしいお声だった。そして、私は偶然、この瞬間に立ち会えたことに、深く感動していた。というのも、明恵上人は、存命中にここから旅立つことができなかったのだ。釈迦の地への巡礼への道は、今亡き後も、このような形で叶っている、ということ。

そして、この場所は、古代信仰の場でもある。それは、寺の奥の森を目にしていただければ分かるだろう。一木一草にいたるまで、「生きている」。かつて、明恵上人は、この森の木々たちと、どんな話をしたのだろうか。森から眺めたであろう月明かり。様々な情景を夢想しながら、私はその場所を後にした。

 

京都栂ノ尾高山寺

〒616-8295 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8

http://www.kosanji.com/index.html

 

2013年10月09日 / 

book & gallery DOOR高橋香苗セレクト「月の本」 vol.2

「明恵上人」白州正子  「明恵 夢を生きる」河合隼雄

 

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鎌倉時代、ほぼ親鸞と同時期に生まれた明恵(みょうえ)上人のことをご存知だろうか。月の本を探しているうちに月と言えば、と浮かんだ人物がこの明恵上人だった。高僧として名を遺した人物ではあるけれど、明恵上人を知ればしるほど人としての魅力が月の光のような清らか光彩を放ってこちらを照らしてくる。大きな事を成し遂げた歴史上のヒーローではないけれど、明恵自身からあふれでる光彩が、今も、そしてわたしたちの未来へも放たれているのを感じるのだ。

とても不思議な人物だ。明恵の生きた時代は仏教界も政治の荒れ狂う波にまるごと飲まれて影響受けた不安定な時代。それなのになぜかそんな乱世に身をおきながら明恵にはいつも静まった池に映る月のごとく、不動の精神が清々とゆき渡っている様子しか浮かんでこない。人智を越えた妙を人として具現化しているまさに超人。その類いまれな資質はどこからきているのだろう。そんな明恵に惹き付けられてその生涯を記した名著がある。白州正子の「明恵上人」だ。明恵を知る上で最良の本ではないだろうか。

 

「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」

月の歌を多く呼んだ明恵の歌の中でも有名なこの歌。

子どものような無邪気な歌の中に、くもりの無い澄んだ心ゆえ見える、人の世の都合を嘆く気持ちが童心になって叫んでいると白州正子は書いている。

世俗を断って安住しているのではなく、浮き世の灰汁につかったまま禅定を生ききった人物として、極めて親しみを込めて恋慕の情さえ感じるような筆致で読む者を透明な明恵の世界へいざなってもらえる本だ。

 

そして明恵上人に関する本をもう一冊。

河合隼雄の「明恵 夢を生きる」

この本はとくに明恵が生涯にわたってずっと記していった夢の記についての本なのだが、ユング心理学の第一人者である筆者が、西洋的悟性を駆使しながら東洋的な人智の向こうに広がる心の世界を、明恵の夢の記を、または明恵自身の精神を触媒にして探っていく渾身の著である。

 

この二つの本とも、明恵を知る事は己の魂の森の奥深くに分け入り未だ知る事の無かった光を見つけることでもあることを教えてくれる。その光の本質は目の前に燦然と輝く太陽ではない。それは、己の心を鏡にして写される月明かりにより近いのではないだろうか。

文/高橋香苗

 

 

book & gallery DOOR オーナー高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

現在、従来の本屋とギャラリーに加えて、夏から店内での喫茶も始める天然素材で色にこだわった洋服のデザインや地元の工芸家のあゆみをテーマにした本の企画、および執筆に携わっている。

島根県松江市上乃木1-22-22

tel 0852-26-7846

2013年10月08日 / 

book & gallery DOOR高橋香苗セレクト「月の本」 vol.1

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「竹取物語」

月を愛でるという感覚は日本人にとってはとても馴染んだものです。けれども、世界的にはどうなのでしょうか。生の象徴として太陽を崇める態度は洋の東西にかかわらずあるようですが、月となると、冥界を支配する神と考えられ、月を長い間じっと見つめることや月光に照らされたまま寝るのはよくないと言われるなど、月を陰性として遠ざける傾向もあります。ところが日本では、その陰性に対してとても繊細で細やかな感受性をもって、美しさを讃えて、親しんできた歴史があるのです。

 

竹から生まれて月に帰るかぐや姫の物語。竹取物語はいつ誰が作ったかは不明となっていますが、誰もがその大筋を一度は耳にして親しんだ物語ではないでしょうか。今回、月にまつわるおすすめのお話を何か選んで欲しいと言われて、浮かんだのはやはりこの物語でした。

 

あらためて読み直すと。とにかく随所にいかにかぐや姫が美しいかということが描かれています。竹取の翁の家が光り輝くほどに美しい姫。そしてその美しい姫の姿は育てた老夫婦以外は誰も見た事が無いというのに、その美しさに吸い寄せられて魅了され、五人の貴人が身を滅ぼしてしまう始末。ついには帝までが姫をそばにと懇願しに使いをよこすほどで、月に帰る日が決まったことを知ると数千の兵を姫の屋敷によこして何とか行かせまいとする。それくらいすべての者の心を虜にする美しさなのです。

 

最後はもちろん、かぐや姫は月に帰ってしまうのですが、月からの迎えの者はこう言います。「姫よ。下界のこんな汚いところに長くいないで早くお帰りください」と。姫の帰る月は天上界として、美しい姫が最初から住んでいた神々しい住処であって、それに比べれば地上はあらゆる欲望がうずまく汚れたところ。けれども姫は最後の最後までその地上を離れてお別れすることを嘆き悲しみます。そして悲しみながらついに天の羽衣を着て、地上での出来事をすっかり忘れて月へと帰っていきます。

 

一度は自分たちの手元にあった歓びのすべてが行ってしまった先が月。

 

そういった月への強い恋慕、地上にはけっして見いだせない神々しい美への憧憬は、もともと私たち日本人が持っていたからこの物語が生まれたのか、はたまた、この物語が生まれて語り継がれてきたから月に対しての感性が受け継がれているのか。

 

姫との永遠の別れという悲しい結末に思いを寄せる度に、頭上で輝く月の光は天上界からの賜物としてさらに美しさを増すのです。

 

文/高橋香苗

 

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book & gallery DOOR オーナー高橋香苗 プロフィール

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。2004年~子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本やテーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める。2010年地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならではものを探るために、手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」を企開催。以来毎年行っている。

現在、従来の本屋とギャラリーに加えて、夏から店内での喫茶も始める天然素材で色にこだわった洋服のデザインや地元の工芸家のあゆみをテーマにした本の企画、および執筆に携わっている。

島根県松江市上乃木1-22-22

tel 0852-26-7846

2013年09月07日 / 

夏の訪れを告げる色 文/イラストレーター西山ゆか

睡蓮花

 

流れゆく風景の景色の最中

過ぎ去っても、また出逢いたい色はいつまでも残る。

いつかの後ろ髪をひかれるような、夕方の影のように・・・

 

扉を開くと、色が踊る。

細かい粒子がカタチを織り成す。

 

 

2013年08月03日 / 

藍と青 文/小川敦子

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青。
ピカソの中でも、青の時代の作品に一番心惹かれる。
日本人にとっての青とは、まるで深い心象風景を表すかのよう。
20段階にもなる色の構成の藍の色。
瓶覗き(かめのぞき)→水浅葱→浅葱(あさぎ)→薄縹→薄監→花浅葱→
浅縹→縹(はなだ)→納戸→熨斗目(のしめ)→藍錆(あいさび)→藍→鉄→
紺藍→紺→搗(かち、褐)→紫紺→藍鉄→搗返し→濃紺。
ファインダー越しに眺めた光を帯びた藍の青によく目を凝らすと
青の中にも、たくさんの色の要素が含まれていることが分かる。
色は記号ではない。
色は人の心を移す鏡のような存在であり、
そして、目に映るものが、すべてではない。

2013年07月22日 / 

言葉には力がある  文/小川敦子

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かつて、あるひとつの空間をHawaiiの100の言葉で埋め尽くしたことがある。天井から吊るされた、おまじないのように魂が込められた言葉の数々。人から人へと伝承された重みのある言葉の響き。それは、情報が溢れすぎるほど溢れ、言葉をいやという程見過ぎている人たちにとって、言葉本来のきらめきみたいなものを感じ取ってもらえたら、という願いからだった。
言葉には、力がある。
魂がある。

人のこころをよくもわるくも、とげとげさせたり、まあるくしたりする。一言がこころに深く突き刺さる。一言がこころをふんわりさせる。言葉に潜む魅力。こころを込めて言葉を発し、また、一言一言をじっくりと受け止める意識を持つこと。それが、言葉で溢れかえる世界にいる私たちにとって、いま必要なことに思えてくる。

I ka ‘ōleo no ke ola, ika’ ōleō no ka make
言葉には、力がある

2013年07月05日 /