NIWA MAGAZINE

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青の導く場所 vol.4 文/安部 太一

青の導く場所4

“未来へ放つ”

 

4月18日、日の入りは18時43分。
太陽がオレンジ色の光を放ち沈んでゆくのを見ながら、飛行機は出雲空港へ着陸。随分日が長くなった。

 

外へ出ると西の空はまだ輝いていて、僕の立っている場所を夜が覆い始める。光と闇の中間で短い時間しか見ることのできない、その空の青の濃淡がとても好きだ。
ただいま。

 

展示会から戻ると工房の庭に色とりどりの花が咲いていて、それを妻が青い花器に生けてくれた。
ルドンの絵を思い出すね。と僕らは話をする。

 

2013年、新宿の東郷青児美術館でみたルドンの展覧会、「夢の起源」。

 

モノクロの世界を描き続けた画家は50歳を過ぎて色彩を描く。それは49歳で授かった息子アリをきっかけに心を開いた輝きの表現だと当初僕は思った。

 

今回ルドンのことを書きたいなと調べてみると単純にそうではないかもしれないと気付く。

 

30歳で普仏戦争を体験し、亡くなる2年前74歳の時に第1次世界対戦が勃発、出征した息子アリを案じて情報を求め歩き、肺炎をこじらせて死去。画家として成功を収めてはいるが彼が生きた時代は晩年は特に、映画「白いリボン」に描かれているような、大戦前夜と呼ばれる閉塞感という暗い側面、不穏な空気が少なからず社会に漂っていたのではないか。

 

ちなみに「白いリボン」でミヒャエル・ハネケが描いた鬱屈した時代の空気や、そこに生きる歪んだ大人に抑圧された子供たちのなかから、後にナチスを支持する若者が育つ。

 

僕は想像する。

 

ルドンが晩年描いた色彩は、暗い予感が渦巻く中、息子やその子の生きる未来が輝いたものであるように内的な想像力を精一杯集めて描いた、願いや祈りだったのではないか。

 

「君が大人になっても変わらず、色とりどりの花と青い空がありますように。」

 

2013年、ルドンの展覧会を見に行けたのは、10代の終わりと20代、青春を共にした友人のお葬式に東京へ出掛けたから。
もうすぐ命日だ、彼に有難う。

 

そういえばあの日も夕暮れが綺麗だった。

 

 

安部太一(陶芸家)

1975年 島根県生まれ
2001年 陶芸をはじめる(父・安部宏に師事)
2006年 個展等、活動をはじめる
2010年 独立、現在は島根県松江市にて制作

http://taop410.com/