NIWA MAGAZINE

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「森の記憶」  取材・文/小川 敦子

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

D’ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?
ポール・ゴーギャン Paul Gauguin

 

 

写真家 赤阪友昭さんに聴く

森の世界。

 

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赤阪さんの体からほとばしるように、湧き出てくる言葉の数々を受け止めながら、私の中に浮かんできた言葉が、このゴーギャンの最高傑作と言われる絵のタイトルである。熱帯の濃いむっとした空気が立ちこめるかのような、タヒチの森の情景。そして、人間の生死が描かれたとてつもない孤独感。ゴーギャンの死生観を表すかのような、この一枚の絵を通して見えてくるのは、「死があるからこそ、生がある」という啓示のようなものだ。その啓示の象徴の場として、「森」が描かれている。我々はどこへ行くのか。

 

 

1995年に起きた、阪神・淡路大震災。写真家として活動するきっかけとなった。震災が起きる、ほんの数ヶ月間前まで住んでいた、神戸の街。高速道路の脇にあったというアパートは、倒壊。もし、自分があのまま、あそこで暮らしていたら・・・。瞬間、自身の中の「何か」が揺り動かされた。便利で快適で「守られた」暮らしが一瞬にして奪われたその瞬間。どう生きて行けばいいのか、震災を経験した多くの人が、突然、直面せざるをえない状況に陥っていた。水さえも、確保することができない。「生きる力」を本能的に、人間は失ってしまったのではないか。そんな状況を前に、赤阪さんは単身モンゴルに渡る、という道を選択する。おそらくは、約束されていたであろう人生のレールを捨てて。

 

 

電気も水道も何もない。人が本来あるべき姿で暮らす、当時のモンゴルは、「豊か」だった。遊牧民と共に過ごす中で、人が野生でたくましく生きる姿に魅せられたのだろう。自身が遊牧民になることはなかったけれど、代わりに、写真を通して、彼らの生きる様を伝えることを選んだ。原初のまま、ありのままに生きている姿を捉え、伝えることで、現代人それぞれの内面に内包されているであろう「野生の勘」を揺り動かす。

 

 

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赤阪さんが、今、フォーカスしているのが、山や森の残された原初の信仰、縄文文化や祭祀。土地の記憶をたどるように、原初のありのままの姿を追い求めている。「森には、死があるからこそ、生がある。古い大木が倒れるのには、次の生命が産まれてくるためで、すべては循環の輪の中にある。大木が倒れれば、周囲に光が当たり、倒木は森の養分となる。本来、森は人の手がなくとも、ちゃんと循環する。そうじゃなきゃ、いけないのだから」

 

 

かつて、森と人の間には、結界のような境目があって、人は足を踏み入れてはいけない領域を守っていた。森は「死」の世界の際。「目に見えない世界」に対して、畏敬の念や祈りの心を持つこと。その精神が、森の循環と調和を守ることにも繋がっていたのだろう。

 

 

今さえよければいい、という短絡的で未熟な考えで、自然が何年もかかって生み出してきた「調和」の世界を私たちは、一瞬で壊していく。謙虚さを失くした心は、一体どこにたどり着くのだろう。目に見えない世界への想像力を失った貧しい心は、生きることに対する貪欲さも失くしていく。森という際の世界が消えてしまうことの代償はとてつもなく大きいはずだ。

 

 

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赤阪さんとmahina pharmacyの中山晶子さんが主宰するプロジェクト「あ。わ。の月」。本来私たちの日本人の記憶に眠っているであろう「調和」の精神を取り戻すことを伝えて行きたいのだという。月をキーワードに森羅万象の世界に足を踏み入れる。一人ひとりが、自身の内面と向き合いながら、自分らしさと野生を取り戻して行く。「はじまり」と「おわり」を表す、「あ」「わ」という大和言葉。新月から満月へ、生と死と再生を繰り返す月は、輪廻転生や仏教の真理の象徴とされてきた。闇に光る月は、かつて、日本人の心の現れのような存在だったのだろう。

 

 

「森や月は、命の循環の象徴であって、自分たちが伝えたいのは、その意味すること」という赤阪さんの言葉には、ひとつも浮ついたところがない。古の記憶をたどりながら、土地を巡る。むき出しの自分を捧げる勇気がなければ、これまでの活動も成り立たなかったであろう。体からほとばしるように湧き出てくるメッセージは、心の奥底に、しっかりと伝わってくるかのようだった。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

その答えは、きっと、象徴としての「森」にある。

 

photographs by Akasaka Tomoaki「Rainforest at Haida Gwaii, Canada」

 

 

赤阪友昭 Akasaka Tomoaki

 

1963年 大阪市生まれ。
1996年、モンゴルでの遊牧生活及びアラスカ先住民の村での暮らしから撮影をはじめる。雑誌『Coyote』等に写真と文を掲載し、プラネタリウムの番組制作や国立民族学博物館での写真展など「継ぐべき命」をテーマに活動を続ける。2000年には、国際文化交流イベント『神話を語り継ぐ人々』を総合プロデュースし、札幌・熊野・東京にて公演。2008年には、三年をかけて故・星野道夫のためのアラスカにトーテムポールを立てた『星野道夫トーテムポールプロジェクト』を共同プロデュース。現在は、日本各地を訪れ、山や森の残された原初の信仰、縄文文化や祭祀を撮影・取材している。2009年から写真ギャラリー photo gallery Sai (大阪)を主宰。近著に『The Myth – 神話の風景から – 』がある。

 

【contact/location】

〒553-0002 大阪市福島区鷺洲2丁目7-19
Tel&Fax 06-6452-0479

url:http://www.akasakatomoaki.net

 

 

 

★あ。わ。の月より、お知らせ。 by mahina pharmacy 中山晶子

隔月満月の夜にお話会を開催。

 

月を巡る旅のお話 vol. 03   「月のおやまの満月幻灯会」
海をもたらしたのは彗星だった月である、というお話があります。もし、それが本当ならば月は命の源である海と直ちに結びついていることになります。この地球に生きるすべての命は月とともに生きてきたとも言えるでしょう。今回の月を巡る旅は、お話ではなく、月と命のつながりを「見て」、「聞いて」、「感じる」ことに意識をむけてみたいと思います。あらゆる命の存在には理由があります。たとえば、私たちが「森」と呼ぶとき、何を想像するでしょう?たくさんの樹木や動物たちでしょうか?一本の大木が倒れた場所に陽が射すと、多くの植物の種がいっせいに芽吹くように、森は、無数の死と無数の生という命の循環の総体として存在しています。私たち人間を含めたあらゆる生命もまた皆同じです。今回は話し手である赤阪がアラスカ取材のため不在となりますが、その分普段はなかなかお見せできない貴重な映像やスライドを用意しました。小島敬太のナビゲートと音魂で、そんな命の在り方を感じていただきたいと思います。夏の夜の満月幻灯会、はじまります。アラスカ取材中の写真家・赤阪友昭にかわり、音楽家・小島ケイタニーラブがナビゲートする特別上映会です。赤阪がこの日のためにセレクトした貴重映像の上映の他、赤阪の写真と小島のサウンドトラックによる初のコラボレーションが実現したスライドを特別公開します。

 

 

2014年7月12日(土) 下北沢B&B 19:00~
「月のおやまの望月幻灯会」月を巡る旅のお話 vol.03
出演:小島ケイターニーラブ(音楽家)
お問い合わせ:http://bookandbeer.com/
あ。わ。の月のお知らせ:https://www.facebook.com/awanotsuki?ref_type=bookmark