NIWA MAGAZINE

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器を作る。思考する。 vol.8  文/森脇靖

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「尊ぶ」

 

 

記憶の中の祖父は湯豆腐しか食べない。
座卓の上にはそのほかに日本酒、橙地に黒文字の箱の煙草。

 

私は小学生の頃、学校帰りに、
通学路沿いにある母親の実家へしばしば立ち寄っていた。
軒下の柱に繋がれた番犬の頭をなで玄関へ向かっていると
少し開いた木戸の奥、仄暗い空間から
「ぼもー」と地鳴りのような鳴き声がする。
牛の存在を知ってはいるのだけど聞くたびにびくついてしまう。
後ろを振り向くのが怖くて足早に家に入る。
居間では祖父が、その日の豆腐をつつきながら相撲中継を観ていた。
少し距離をとって座っていると何か話しかけてくるのだけど
声がガラガラぼそぼそしていて言っていることが解らない。

 

暫くして恐る恐る祖父の顔を見上げた、
相撲中継を観ていると思っていた祖父の目はそんな目ではなかった。
視線の先を見つめてみようとするのだが一体どこをみているのかわからない。
力士の取り組みか、テレビの手前か裏側か
奥か先か、画面の前の宙なのか、
目は開いているが本当は何もみていないのではないか
逆にすべてをみているのか、孫である自分をみているのか、
自分の今の気持ちも将来の自分も何でも見透かしているような
そんな不思議な視線で祖父はじっと前をみていた。

 

運動会の日。
フェンスの向こう側の木陰に座っている祖父を見た。
学校が近いということもあって見に来てくれたのだが
校庭には絶対に入ってこない。
孫である私の競技を見てくれているのだろうか。
がんばれと声を出して応援することもないし、
私が今走ったことも見ていたかどうかも判らない。
そんなことを考えていると居なくなっていた。
本当に来ていたのか。見間違えたのか。
自分だけに見えたのだろうか。

 

私は外孫になる。
時々顔を合わせる祖父のことがやけに記憶に残っていて
大人になった今でも度々思い出す。
祖父は人間のかたちをしているが、
子どもである自分にとっては得体の知れない存在だった。
宇宙人のような、妖怪のような、形があるように見えても
それは見えているだけで実態がないのではないか、などと
子どもだった自分は祖父の存在の不思議さを感じていた。
孫に対してご機嫌をとることも媚びることもなかった。
ただ孫の自分が居ようが居まいがお構いなしにそこに居る。
そこに存在している。
祖父は直接何かを教えてくれたり与えてくれたりする存在ではなく
代々続いている生、生きてきたという証をただ背負っていたように思う。

 

世代の繋がり、また日本人の血というものを考えるとき
解り安い言葉や行動で繋がり、伝わってきたものでは無いように思う。
日本という狭く起伏が多い複雑な国土で
農業という人類最初の自然破壊と本来の自然とを
代々繋る「血」で調和させてきた日本人。
個の強さで言葉や思想を面と向かって伝えるのではなく
立ち姿や空間や日常やその余白で繋がり続ける事をしてきたように思う。
祖父の姿は、経験してきた事や得た事をそのまま伝える姿勢というよりも
目の前の事象を見つめたり受け入れたり、
また諦めたり、委ねたり、抱え続けたり、
それら全てをひっくるめ何か大きなものに包まれて生きている姿だった。

 

稲作を主とする農耕に必要不可欠な経験の蓄積や人の繋がりを何より尊み、
その中で生まれ死んできたのが日本人だと思う。
「こうして生きるんだ」と教えられたわけではなく
自分たちが生きている場所、そこから見える場所、
自分を取り囲む世代の層を通して、子らは自身を見つめ、
繋がりの中で生かされている「自分」というものを
自らすくい取り、未来に続いていく道筋を感じたのではないか。
長い間、血として繋がってきたこと、
そしてこれからも繋がるであろうことは
伝えられたというより、伝わってきたものだ。

 

数千年の間、血で繋がってきた我々は極最近、きっとここ何十年かで、
見えない力によってばらばらにされてきた。
孫、親、祖父母、という一人間が現在は単体として存在し
様々な組織、システムの絡み合いの中で各々各世代が無秩序に繋がっている。
または全く繋がっていなかったりする。
極端に言えば血を軸にしていたものが
経済を軸に再構築され繋がってしまったようにも見える。

 

人間という、日本人という種の喜びとしてあった生。
それが、ある時からいつの間にか
溢れ始めた数多の物品や情報と結びつき、すり替えられ
生は個の喜びを欲求し追い続ける中で得られるものと錯覚されるようになった。
人間が動物的に摂理の中でそう移行してきたのではなく、
それは世に組み込まれたシステムの都合や、溢れかえる物品の中で作られた擬似的な喜びだ。

 

世代というバトンで繋がってきた自分も、次へ繋げる自分というものも
長いスパンで見つめ続けてきた「生きる」ということさえも
目の前の甘味や刺激にごまかされているように思える。
親、祖父母との関係の中で生まれてくる感情や
繋がりを感じる場も関係もどんどん無くなり、知らぬ間に心から引き剥がされている。
個の喜びを幸せと錯覚し追い続けることで
静かに連綿と続いてきた血での繋がり、種の喜びを消すことになっているのではないか。

 

自分という塊が見えない何かに埋もれそうになるたびに
何も語らず前を見続けていた在りし日の祖父の眼差しを、姿を想いだす。
自身の過去をたぐりよせ、
体内で生まれる様々なものを自身に刻み込み、今日も私は作陶している。
この世に溢れかえる物品の一つである器をどう捉え、どのように向き合うか。
私は作り手として、また人間として取り組んでいきたいのである。

 

 

森脇靖

陶芸家。島根県邑南町生まれ。松江高専卒業後、県の工業技術指導研究所で陶芸の基礎を学ぶ。さらに松江在住の陶芸家原洋一に師事。2000年に邑南町にて独立開窯。以降島根県内外で個展を重ねてファンを増やしている。使い勝手が追求されたユニークなネーミングの食器を手がけてきたが、数年前に地元の益田長石を配合した釉薬による独特な肌合いと色彩を完成させて以来、それに合わせて造形にも磨きがかかり、ほどよい緊張感を持った有機的で豊かなフォルムの花器、茶碗皿などを生み出している。日常の暮らしと作陶は常に同じ線上にあると語っているように幼い二人の息子と妻との暮らしを大切にしながら真摯に器作りをしている。

(紹介文/book & gallery DOOR 高橋香苗)

 

森脇製陶所
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