NIWA MAGAZINE

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器を作る。思考する。 vol.17 文/森脇靖

niwa2015nov

 

 

vol.17 「私を知る人」

 

「製陶所の靖さん」でも「森脇靖さん」でもない。
子どもが生まれ、親になった途端に、
私は「〜君のお父さん」と呼ばれるようになった。
当たり前と言えば当たり前だが、
我が子を迎えに園を訪れるたびに園児が私のことをそう呼ぶので、
改めて意識して聞いてみると不思議な気持ちになったのだ。

 

私という個が社会と繋がっている。
そうした漠然としたイメージは
私の存在と意識に基づいたものである。
しかし、〜のお父さん、という呼ばれ方は
私個人ではなく、息子という一人の人間の
その親だという認識のもと、でてきたものだ。
自分がそう呼んでくださいとお願いしたわけでない。
家族という、自分を含めた人員の在り様が
園児たちにその認識を持たせたのだろう。

 

例えば知り合いの誰かのことを想ったその瞬間、
その人の顔、仕草、声、また
以前話をした内容など、私が知っている限りの
その人との情報がふわっと私の中に浮かび立ち、
勝手にコミュニケーションのようなものを持つ。
実際にその人に会ったわけではないのに、
想いの中で再びその人のことが心に刻まれる。
私は多くの場合、人と直接会うことに比べたら
その人への想いを巡らすことの方がずっと多く長い。

 

想いを巡らせた人は、
形をもって私の目の前に存在してはいないのだが、
私の心の中に住み、生きている。
それは実際に会った人だけにとどまらず、人伝に聞いた話の中の人、
壺、茶碗を作ったであろう人、文章の登場人物など、
生死や実存の有無に関係なく私の中で生きている。
私の心を何かしらで震わせた人だからこそ、
ふっと想いを巡らせた瞬間に心のどこかで静かに立ち上がり
私の体内で動き出すのだ。
長時間動き続ける時もあれば、すぐにうずくまる時もある。
また数日間動き続けている時もある。
様々な人が同時に動いている時もある。
私が普段の生活をしながら
心の中では他者が出入りしている状態だ。

 

そして私という人間も、
きっと誰かの心の中で生きているのではないだろうか。
それは私が知っている「私」という人物ではない。
他者の心の中で生きている「私」が、
立ち上がったり、歩いたり、笑ったり、話したりしている。
私を知っている人の心の中で、もう一人の私が生きている。
ここにいる私と、他者の心の中に生きる私は
共に「森脇靖」に違いないのだが、お互いが繋がることは無い。
ひとりの人間である私は、私である。
〜のお父さんと呼ばれている私も、私である。
個として生きる私が動きだし、社会と関わっているということでなく、
私の知る私が個であり、
私を知る人の中で生きる私こそが社会というものではないだろうか。
園児に呼ばれるたびに、
個と社会の関係、その根源に触れることが出来るような気がする。

 

 

森脇靖

陶芸家。島根県邑南町生まれ。松江高専卒業後、県の工業技術指導研究所で陶芸の基礎を学ぶ。さらに松江在住の陶芸家原洋一に師事。2000年に邑南町にて独立開窯。以降島根県内外で個展を重ねてファンを増やしている。使い勝手が追求されたユニークなネーミングの食器を手がけてきたが、数年前に地元の益田長石を配合した釉薬による独特な肌合いと色彩を完成させて以来、それに合わせて造形にも磨きがかかり、ほどよい緊張感を持った有機的で豊かなフォルムの花器、茶碗皿などを生み出している。日常の暮らしと作陶は常に同じ線上にあると語っているように幼い二人の息子と妻との暮らしを大切にしながら真摯に器作りをしている。
(紹介文/book & gallery DOOR 高橋香苗 2013.11)
*森脇さんのお宅では、2014年の暮れの頃に、女の子の赤ちゃんが産まれました。

森脇製陶所
〒696-0314
島根県邑智郡邑南町岩屋1273-4
電話:0855-83-2177
web:http://morisei.net