NIWA MAGAZINE

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食と人 vol.29 文/矢沢路恵

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戦後、焼け跡から掘り出された「ガラスのうさぎ」を思い出した。幼い頃、映画で観たガラスのうさぎは、広島か長崎の物語だと思っていたのが、山食堂より2つとなりの駅、両国での戦時中の実話だった。吹きガラスの職人だった父親がガラス工場でつくってくれた、うさぎの形をしたガラスの置物。主人公の少女が疎開先から実家のあった場所へ戻ると、両国の下町一帯は東京大空襲により焼け野原となっていた。その焼け跡からでてきたのは、耳のとけたガラスのうさぎだった。私はその映画を観た時あまりにも幼い歳だったのと戦争の描写の怖さとで、それ以上スクリーンをみておられず、映画館からでてしまったように思う。

 
 

両国から亀戸辺りまで、広くガラス工場が点在していた。何十軒もあった工房は今となっては数軒しか残っていない。理由は様々だが、ガラスの製造工程の際に熱量にかかる金額が高額になることも関係しているという。何もかもを時代の流れのせいにしてはいけないが、この物がありふれた時代に残していかなければならないものは、先代が培った技術や商業と、何よりそれを守ってきた街や人である。街が人に寄り添い、人が街に寄り添う。本物はすぐには出来ない。お互いが寄り添って、培って出来るのである。

 
 

深川一帯が、ガラス商業を発達させ、職人を増やし、街に産業をうんだ。町並みをつくるのは人である。工場のある街はいいな、と思う。それを感じたのはこの街に来たとき、椎名硝子の工場前を通りかかったときだった。軒先に工務店の名の入った洗濯物のタオルを干しており、外には木の箱がたくさん並べてある。扉はいつも閉まっていたので中は見た事がないが、この街の風景をつくっている工場のひとつであることは間違いない。

 
 

昨年、地域の新年会で椎名硝子の椎名さんにお会いしたことがあった。爽やかな男性という印象だったことを覚えている。会ったのはそれ以来だったかと記憶の彼方へ消えていたが、数ヶ月前、山食堂へ食事に来てくれた際に椎名さん自らが主宰であるイベント「コウトーク」でお話をしてくださいませんか、と言うのである。薮から棒に何を…という気持ちより、何だかわからないけど楽しそう、という気持ちが先に立った。食事に来てくれたうえ断れず、結局そのコウトークのゲストスピーカーとして呼ばれることとなった。

 
 

コウトークは、ヒト・コト・ミセのストーリーを知ってもらうトークイベント。江東区の外の人に街の魅力を伝え、中の人達にはこの街をもっと好きになってもらいたいという想いから、江東区で働く毎回3人のゲストスピーカーと深川地域の各町内の神輿の総代を含めた4人に店をはじめたきっかけや、個人のルーツ、街にこうあって欲しい、将来の展望などを話してもらう。毎回チケットが売り切れるほど、人気のイベントだ。山食堂として、この街で働く身として、街に何を残せるか、人に何を伝えられるか改めて考えるきっかけとなった。そして、会場にきてくれたお客さんの顔をみたとき、いかに自分は人に支えられているかを感じた。店から一歩も出ず山食堂を営んでいくのではなく、街とお互い寄り添っていかなければならないと強く感じた。

 
 

後半の交流会では、多くの方と語り合った。そして毎回恒例である、この街に足りないものを聞かれる。私が答えたのは、広場とバーだった。世界中のどの国にも歴史にも、広場があったからこそ革命が起きた。そこに大衆が集まるからである。日本には人の集まる広場があるだろうか。そこから何かうまれるかもしれない広場が増えて行くことを、将来に望むばかりである。そして、酒は人を近づける。人種、格差、性別、年齢、全てをとっぱらって胸の内を話せるのは、酒を飲める場所だ。日本では古来、酒は神に奉るものだった。そのため、お祝い事の際しにかあけっぴろげに酒を飲めなかった。しかし、いまは消極的になっている場合ではない。とにかく語り合わなければ、一歩も踏み出せない。人と飲んでいる席で何かうまれるものもある。

 
 

コウトークで自分自身のことを話した後、椎名硝子のことが気になった。私達がこの街に来てから3年ほど経つのだが、工場を見学した事は一度も無かった。椎名さんのおじいさんが創業した椎名硝子は「平屋」と呼ばれるガラス製品の最終行程である平加工の工場で、現在はお父さんと弟さんが継いでいる。以前はIT関係の仕事をしていた椎名さん本人は、二年前に会社を辞めこの街に戻り2014年にGLASS-LABを立ち上げた。現在は椎名硝子の仕事の手伝いをしながら、一般の方からのオーダーメイドグラスや摺ガラスの体験など、LABとして直接人とヒトとをつなぐ役割を果たしている。

 
 

はじめて足を踏み入れた椎名硝子の工場はなんとも懐かしい匂いのする場所だった。木の湿ったにおいや石の冷たく落ち着いた感じ、幼い頃、父の印刷工場へ行ったときの匂いを思い出させた。手づくりの機械、ガラス研磨の木盤ははじめて見るものばかりだった。(連動式研磨機は日本でここしか残っていないのだという。)工務店の名の入ったタオルは、ガラス研磨の際に使用する水がとばないよう機械にとめてあるものだった。外の洗濯物干しにぶら下がっていたのはこれだったのかと思った。ちょっとした向きをあわせる為に、身近にある木の破片や針金などをカスタムしたものを組み合わせて調整していた。それがどことなく愛らしく、やさしい想いが目に映った。私達はこの街にきてせいぜい3年だけど、先代がこの工場を、この街を守ってきた年数は計り知れない。

 
 

深川で三年に一度の水かけ祭りで神輿を担ぎ、街を盛り上げている椎名さん。GLASS-LABで人とひとをつなぎ、コウトークで地元のコミュニティを築く。
あらゆることが、この人でなくてはならなかったのだと思う。椎名さんを見ていると、自分らしさとは何だろうと考える。きっと、この街で生きている多くの人がそれを感じている途中なのだと。その想いが、ガラスのようにキラキラと透き通った美しさを放ち、街がかがやいていくのを想像する。

 

 

写真は、あんざい果樹園・白桃あかつきの皮付き丸ごとコンポート
白ワインのジュレ添え

椎名さん率いるコウトークで知り合った深川の美味しいケーキ屋「パティスリー・ウルス」の福山シェフに教えてもらった、桃の皮付き丸ごとコンポート。皮がついたまま丸ごと煮ることで保存しても実が崩れず、必要なときに必要な分だけカットして使う。人のつながりがあってこそ成立した夏の水菓子。

 

鍋の水が沸いたところに分量の砂糖を加えシロップをつくる。国産白ワイン、国産オレンジの皮と絞った生レモンを皮ごと加え、白桃を皮付きのまま入れ煮る。串をさしてちょうどよいやわらかさになったら火からおろし冷ます。桃を煮た液を残し水でふやかしたゼラチンを入れ、冷蔵庫で冷やしジュレにする。冷蔵庫で一晩冷やした桃とジュレ、桃のエキスがいっぱい詰まったスープとともに薄皮をはがしながらいただく。

 

 

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矢沢路恵
都内数カ所の飲食店でサービスの仕事に従事した後、2014年より料理人であるパートナーの山谷知生とともに、山食堂を前店主より受け継ぐ。飲食店は生産者と消費者をつなぐ役割という考えで、全国各地に生産者をめぐる旅をしながら、日本の地域に伝わる特産を探索する。

 

山食堂  完全に家庭料理の店(海のものもございます。)
〒135-0022 東京都江東区三好2-11-6桜ビル1A 電話・FAX 03-6240-3953

都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線 清澄白河駅下車 徒歩3分程
深川江戸資料館通り沿い・深川江戸資料館斜め向かい側交差点より五軒目

平日・夜=17時半〜21時半(ご予約優先)
土日祝・昼=12時〜売り切れ迄 夜=17時半〜21時半(夜はご予約優先)
※不定休

https://www.facebook.com/pages/山食堂/398470866947958