NIWA MAGAZINE

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食と人 vol.4 文/矢沢路恵

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自分のしてきた苦労など、苦労のうちに入らないのかもしれない。しかし、自分のした苦労を知っていてくれる人、その人がいてくれるということを、いつも心に想う。

 

6月—、山梨の奥地にある葡萄畑では、葡萄の白い小さな花が開花する。その花の香りを嗅いだことはないが、なんとも幻想的な香りだという。

 

この地にはじめて降り立ったのは、4年前の6月—梅雨の曇り空だった。いつの日か、以前働いていた都内のレストランで、とあるワインを試飲したとき右の目からつうーっと涙がこぼれた。何なのだろう、この感覚は。右脳をガンガンに揺すぶられる味だった。ワインボトルの裏に書かれていた住所を辿り、気付いたらこの地に立っていた。

 

津金という場所は八ヶ岳の麓、小淵沢や清里の手前にある山間の地だった。霧がかる6月の空、山の谷間に広がる水田はまるで水墨画の景色のようで、ひやりとした風が遠く山からおりてくる。

 

葡萄の木はたくさんの葉をつけ、蔓は自由に手をのばし、空へそらへとのびている。小さな芽も、はやく葡萄の実になるのを待ちわびていた。その畑には自然そのままの花がところどころに咲き、やわらかい空気が流れる。ずうっとここにいたくなるような、そんな気にさえなった。

 

東京でこのまま誰かの店で働いていても、そこで働く人が自分と同じ考えを持ち、同じ方向を目指して働いているとは限らない。結局誰かの店だから、自分ではどうすることも出来ない。しかし、自分で店をやりたいとは思わない。

 

いつの日か、津金の葡萄畑で働きたいと思っていた。同じ方向を向いて歩いて行ける人と一緒に働いてみたい。東京で何かを我慢して働くよりも、ずっとこの地で過ごしていけたら、どんなにか自分が大きく羽ばたけるだろう。

 

そして東京に戻っても、やはりまたその地に行きたくなった。それから月に一度、津金の畑に訪れるようになったある日のこと。同じようにこの葡萄畑に心を奪われ、その葡萄から酵母をおこし、都内でパンを焼いている方がいることを知った。現在、参宮橋でタルイベーカリーを営んでいる樽井勇人さん。

 

知り合った当時、樽さんは代々木八幡の天然酵母パンの名店「ルヴァン」の職人だった。津金の葡萄畑に毎月通っていることを話したところから、知り合うこととなった。

 

私と樽さんの共通点は津金の葡萄だけではなく、飲食店で長年働いていたという経験。以前、樽さんは都内有名レストランでサービスの仕事に従事しており、過酷な労働、常に気をつかう仕事、その全てをわかっているという安心感があった。苦労してきた分だけ、その度に的確な答えを必ず持っている。そして、誰よりもお客様を大事にする。

 

そんなある日、同じ想いを持ち一緒に働いていけると思った山食堂に出会った。ルヴァンのパンを提供していたため、樽さんとも行き来があり、長い旅をして私はここへ行き着いたのだと思った。ここで働きはじめて半年が経った頃、山食堂は夏前で忙しくなり、創業者の店主は過労のため倒れてしまった。店は再開の目処が立たず。幸せな日々から一転、私はいったい何をどうすればよいのかわからなくなってしまった。

 

「食堂」というのは食事をする場所であり、店に居ると次々にお腹を空かせた人が入ってくる。いま自分に出来ることをしようと、その時は無我夢中でひとりで食事を出し始めた。そのときにちょうどルヴァンから独立してタルイベーカリーをオープンした樽さんのパンを、すがる想いでお願いした。

 

カウンターの上にパンを置いておくだけで、いいにおいがした。ロールキャベツに付け合わせのカンパーニュ、バゲットにチャーシューとパクチーとなますを挟んだバインミー、ニシソワーズにタマゴサンドやポテトサラダサンド、千切りキャベツを山盛りのせたコロッケサンドやベーコンエッグサンド。タルイベーカリーのパンは国産小麦にこだわりやさしい味で、噛み締める毎に旨味がじんわりでてくる。和食料理にも相性がよく、金平や切り干し大根、ひじきや豚の角煮、おからや肉じゃがに添えても負けない旨味を持ち合わせる。

 

何よりそこに樽さんのパンがある、というだけで心強かった。
「樽さんのパンは、人を幸せにする。」
タルイベーカリーのパンを知っている人にそう話すと、誰もが頷く。

 

あれから4年、津金の葡萄畑へ行ったことで知りあった樽さんと出会い、私は山食堂を受け継いだ。自分のした苦労などというものは、どうでもよい。たくさんの想いと、タルイベーカリーのパンがこの店をつないだのだ。
6月—、葡萄の花は今年も津金の山で咲き誇るのだろうか。

 

写真はバインミー(ベトナムのバゲットサンド)
フランス領土のベトナムで食されるサンドイッチ。食材を積んだ船の行き交う途中、バゲットに好きな具を挟んでもらう。バインミーの中でもでポピュラーなチャーシューサンドは、バゲットにみそだれチャーシュー、紅白なます、パクチーを挟んだもの。山食堂では宮城・ありが豚(トン)の自家製チャーシュー、静岡・亀岡さんの香菜(シャンツァイ、パクチー)、千葉・耕すの無農薬人参とカラフル大根のピクルスを、タルイベーカリーのバゲットとともに。噛むことで旨味が増すパン。気泡のバランスと国産小麦の儚さ、風味のやわらかさ、日常にありながら、わくわく感があふれている甘い香りがたまらない。タルイベーカリーのパンは、山食堂になくてはならない存在。

★TARUI BAKERY(タルイベーカリー)

〒151-0053
東京都渋谷区代々木4-5-13 レインボービルⅢ 1F
電話・FAX 03-6276-7610
小田急線:参宮橋駅より徒歩1分
9:00〜19:00 月曜休み
※月曜が祝日の場合は、翌日休みになることも。

 

 

矢沢路恵

都内数カ所の飲食店でサービスの仕事に従事した後、2014年より料理人であるパートナーの山谷知生とともに、山食堂を前店主より受け継ぐ。飲食店は生産者と消費者をつなぐ役割という考えで、全国各地に生産者をめぐる旅をしながら、日本の地域に伝わる特産を探索する。

 

山食堂

山食堂

完全に家庭料理の店(海のものもございます。)
〒135-0022
東京都江東区三好2-11-6桜ビル1A
電話・FAX 03-6240-3953

都営大江戸線・半蔵門線 清澄白河駅下車 徒歩3分程
深川江戸資料館近く
昼=12時〜15時 夜17時半〜21時半 ※不定休

fbページ
https://www.facebook.com/pages/山食堂/398470866947958