NIWA MAGAZINE

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食と人 vol.46 文/矢沢路恵

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夏の終わりの頃だったが、まだ残暑厳しい9月の初め、西日本へ旅をした。もう15年も前の事になる。その年の梅雨入り前の晴れた6月に母を病気で亡くし、3か月泣き続けて何もせずにいた私の夏は終わりに近づいていた。母のいない季節は、想い出ばかりで現実味がなかった。母の故郷の長野や知り合いのたくさんいる東北へ行ってしまったら、何もかもが悲しくて泣いてしまうと思ってやめた。誰も知らない、縁もなく所縁もない西へと旅へ出ようと思った。
 
 
母の亡くなる2年前の8月、生きていたら同い年の従兄弟を亡くした。北海道にバイクで旅行中の不慮の事故だった。葬式の後、その従兄弟が結婚するはずだった婚約者と伊豆へ旅した事があった。結婚前、2人で楽しみにしていた伊豆旅行だったというチケットを、彼女はキャンセルする気になれなかったという。もしかしたら親戚同士になっていたかもしれないその可愛い彼女と、伊豆の回転寿司屋でたらふく食べた。先ず西へ旅するなら伊豆へ遠回りしてでも、その思い出の寿司屋へ行きたいと思った。
 
 
旅のはじめに目指して行ったその伊豆下田の寿司屋は、あろう事か休みだった。折角ここまで来て帰ろうかとも思ったが、東京へ帰ったってまた何もない私に戻るだけだ。うまくいかないのも旅の醍醐味と解釈し、伊豆下田の宿泊案内所で紹介してもらった民宿に一泊する事にした。駅から歩いて20分くらいだろうか、民宿へ荷物を置き、じきに夜になるんで駅前で何か食べて来ますと言い、来た道を海に沿って歩いた。夕刻時の海風が気持ち良かった。巨大展望台付きの海に面した大きなリゾートホテルの立ち寄り湯だけ利用し、駅前の居酒屋兼定食屋のようなとこへ入った。他の席の客は名物の伊勢海老丼みたいなのを食べていたが、割と普通の天丼のようなものを食べた。みんな夏の行楽で海へ来たような観光客だったように思うが、こちらは寿司屋が閉まってて仕方ないので一泊し、何の目的もない無職の人。伊豆まで寿司を食べに来た意味がそんなに大事なことだったとも考え難く、後から考えたら何で一泊までして、と思った。
 
 
翌朝、海に面した民宿の窓からは、目の前に海だけが広がっていた。なんて穏やかな海だろう。波もゆるやかに、風と潮の満ち引きだけがその窓枠から伝わってきた。しばらくその窓からの風景を眺め、何も考えず座っていた。下へ降りると民宿の家族が食卓で朝ご飯を食べていた。お世話になりました、と宿を出て開店と同時に例の回転寿司屋へ行ったが、前回ほどたらふく食べられなかった。階下のお土産屋のイカの塩辛も美味しかったが、これから西へと旅をするので買うのは諦めた。出発点からまだ2日目。
 
 

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次の場所へ。あてのない旅だったので、旅行のチケットも買わず、宿泊も決めておらず、行く先々で次の場所の事を考えるのが毎日のことだった。インターネットがあまり普及していない時代だったので、時刻表を手に常に持ち歩いていた。名古屋へ行ったが何があるのかよくわからず手羽先と天むすと味噌カツ食べて一泊し、翌日は三重へ向かい、行きたい店があったのでランチをした後、ローカル線に乗り大阪へ向かった。その途中、和歌山で大きな地震があったようで、電車に乗っていたら揺れがきた途端、止まってしまった。随分と時間が経ち、やっとこさ電車が動き出して大阪へ着いたのが夜になっていた。安宿を手配してしまった為、駅から遠く、しかもエレベーターが停止してしまい部屋へも入れなかった。フロントで荷物のみ預け、夜の街へと繰り出した。大阪の人は誰でも容赦なく話しかけてくる。地震大丈夫だったか、とか電柱を両手で揺らしてさっきこんなん大きく揺れたよなぁ!とか、何処へ行っても通りすがりの人に声をかけられた。入った居酒屋は二階まで超満杯で、活気に満ち溢れていた。さすがに疲れたので宿に戻りすぐ寝てしまったが、大阪にもう一泊したいと思い、たこ焼き食べたり餃子食べたりオムレツ食べたりと、くいだおれの大阪を巡った。通天閣の街は軒並み串揚げやの灯りがともり、コの字型カウンターの安い居酒屋へ入った。メニューがほとんど100円以下で、いちばん高いお好み焼きでも350円だった。皿だけ持った定員が隣の店へ行き、お好み焼きが乗ってやってきた。夜は鶴橋の居酒屋へ行きたかったが、お目当ての店はまさかの定休日。となりの居酒屋へ入りスジ煮の葱ぶっかけを食べた。
 
 

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翌日は京都に行った。日曜日だったので、京都市役所前でフリーマーケットをやっていた。2〜3着しか服を持って来なかった為、洗濯が間に合わず、半袖の服を400円で買った。どこから来たのか聞かれて東京から旅して来たのだと言うと、あてのない旅なんて素敵ですねと言われた。京都の人に癒された。大阪のお好み焼きが忘れられず、京都でもお好み焼きを食べた。醤油が香ばしいねぎ焼きなるものを、生まれて初めて食べた。

 
 
京都から神戸へ向かった頃、西へ台風が横断した。移動中、ものすごい強風と大雨で前へ進むのもやっとでどうなる事かと思ったが、意外とあっさり抜けてしまった。宿の手配をしていなかったので、直接ホテルにて交渉したら一部屋だけ空いており、危うく野宿するところだった。台風が明け、三宮駅から坂を上がった居酒屋で鳥皮せんべいと明石焼を食べた。
 
 
神戸から岡山へ。瀬戸内の海が見えるからと海沿い側の路線を選んだが、列車で移動中に夜になり真っ暗で何も見えなかった。たぶん小さな島々が浮かんでいた。宿はもう寝るだけなら駅前の安宿でいいやと早目に決め、岡山の街へと繰り出した。何もわからず何も知らず、さすがに店も名物も知らないまま岡山へ来てしまったので、駅前の交番で聞いた。桃と葡萄しかないからなぁ〜というようなおだやかな岡山弁で教えてくれたが、神戸からの道中が長かったので、お腹が空いてどうしようも無い。街を歩いていると、一軒の寿司屋があった。旅も1週間ほど経ち、歩き疲れたのでそこへ入った。
 
 
L字型のカウンターの中では、痩せ型で明るい笑顔の大将が迎えてくれた。あまりお金は持っていないのですが、◯千円くらいで何か食べられますか?と聞くと、それだけあれば十分だ!と言い、カウンターの席を案内してくれた。反対側の席には常連のおじさんと若いのとサラリーマンが2人、酒を飲んでつまんでいた。どこから来たのか聞かれ東京ですと言うと、明日は何時にどこへ行くのかと。先ず朝起きて、瀬戸内に行き、往復2時間で帰って来た後、後楽園、大原美術館へ。倉敷を散策し、そして宮島へ。フェリーに乗る前の穴子丼の美味しい店は、右の一番手前の店。まずそこで腹ごしらえをしてから宮島へ行くといい。大将とサラリーマンのおじさん達はどうやら旅好きで、若い頃には四国や九州へよく奥さんと行ったなあなんて会話で盛り上がっていた。明日の旅の段取りや、乗った方がいい列車まで教えてくれた。岡山名物の「ままかり鮨」と地元の酒をコップでいただき、何も知らないまま偶然入ったこの寿司屋で正解だったと、岡山へ来て良かったと思った。
 
 
瀬戸内と大原美術館へは行けなかったが、後楽園と倉敷、宮島のフェリーに乗る手前の穴子丼の店にはおすすめ通り行けた。宮島へ渡ると、なんと数日前の台風で厳島神社の境内がめちゃくちゃに壊れていて中へ入れなかった。牡蠣を食べ、大通りから少し裏路地へ。感じの良い喫茶店に入ったら、もみじ饅頭とカフェのセットがあり、すぐそばの工場からもみじ饅頭をひとつ持って来てくれて、出来たてでまだ温かかった。この旅で目指して行った宮島の酒屋へ着き、数日前までこの辺りの店はみんな台風の影響で床上浸水して大変だったという話を聞いた。今回の旅の行く先々で、数日違っていたらもっと大変な事になっていたのかと思うと、母が空から危険を回避してくれたのだと思わずにはいられなかった。
 
 
その日の夜に広島へ到着、宿泊案内所で駅すぐ近くの宿を紹介してもらう。広島駅の2階の飲食店は、カウンター席だけの広島焼の店がずらっと並び、いいにおいが漂っていた。カウンターにたくさん座っているサラリーマンのおじさん達に、鉄板の上でひたすらお好み焼きをつくっているおばちゃんの店が美味しそうだったのでそこへ入った。広島焼というのは生地はクレープみたいに薄く、野菜とそばがぎっしり入っている。重くなく、ジューシィな野菜と焼きそばを薄皮に挟んだミルフィーユのよう。いくらでも食べられそう。同じ階の広島カープのユニフォームを着ている店員の店は、メニューにストライクとかアウトとか書いてあり、お会計はゲームセットと言うのかと真っ赤な色の店に入りそれなりに楽しんだ。
 
 
持ち金もそろそろ底をつき、旅も終わりを迎えこの一週間の事を振り返った。旅の最後の日に原爆ドームを見学した。幼い頃、学校で写真や映像でしか見た事が無かった原爆ドームは周囲を柵で覆われ、ドーム内の瓦礫の下には雑草が生えていたように思う。広島に原爆が落ち、横に流れる川に大勢の市民が火傷を負ってあふれかえったことを思うと涙が止まらなかった。館内にも世界中からやってきた大勢の観光客が訪れていた。ドーム内に生えていた雑草が平和の象徴のようにも思えた。
 
 

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新幹線に乗る前、またあのお好み焼きが食べたくなり、昨日行った店のおばちゃんに焼いてもらいお土産用に包んでもらった。青春18切符で一週間かけて広島まで旅してきた道を、新幹線が数時間で戻っていった。四国や九州まで行こうとしていたが、無謀な事をしていたのだと後で気付いた。印象的だったのが、自分の暮らしている場所からより遠くの岡山と広島の街だった。食も人も言葉も、何もかもが異文化の街。思えば遠くへ来たもんだ。一週間かけて辿り着いたのが、より遠くに感じられた。
 
 
平和記念公園の碑のアーチからは、燃える炎の向こうに原爆ドームが見えるよう設計してあり、涙がポロポロと落ちて、旅の最後に生きることとは何かを考えさせられた。
あのとき岡山や広島で出会った人々は、いまどうしているだろうか。寿司屋の大将、サラリーマンのおじさん、交番の人、宮島の店の人々や広島焼のおばちゃん。
 
 
私の思い出の中の西日本はいつだって、15年前のあの時に旅した西日本がある。

 

 

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写真は、尾道40個のレモンサワーと青みかん酢のイカ天

瀬戸内の島々は夜の列車の移動中に真っ暗で何も見えなかった。きっと柑橘の甘酸っぱい香りで漂う、海沿いの段々畑が広がっている地はいまどうしているのだろうか。あのときの窓の外の風景を想像しながら、支援につながる道を手探りでさがす。
 
夏と真逆の季節が旬の国産レモン。欲しい時に時季ではない為、毎度レモンの仕入れには苦労する。
贅沢に搾ったそのまんまの尾道のレモン果汁は、夏には重宝する。山食堂風レモンサワーは冬が旬の岩城島のレモンを果汁とともにソルベにしてサワーに浮かべる。青みかんはいまがまさに旬。食べだしたらとまらないイカ天にやみつきになる青みかんの酸味をあわせて。
どちらも西日本の被災地復興支援商品。山食堂で夏の終わりの昼下がりを。
 
 
【山食堂チャリティバザー&マーケット】

西日本豪雨災害による義援金募集の為のチャリティバザー&マーケットを山食堂にて開催致します。
8/10(金)〜9/9(日) 山食堂店内外にて開催※9/30(日)までの土日祝まで延長。
※山食堂・営業日に準ずる
※詳細:山食堂SNSにて日々更新します
※バザーの売り上げは全て被災地で支援活動を行っているOPEN JPANへ寄付致します
 
●昼 13:00-14:30L.O 15:00close
チャリティバザー、西日本の食材・物販を主としたチャリティーマーケット、喫茶、ドリンクをご利用いただけます。
※昼飯のご用意はありません。
 
●夜 17:30-21:00L.O 21:30close
※山食堂の通常営業に加え、西日本の食材を使用したドリンクやデザートをご用意致します。山食堂店内外のチャリティバザー&マーケットもご覧いただけます。(満席の場合は全てご覧になれない場合が御座います。)
 
「EVERYTHING IS A GIFT 」
8/25(土)〜9/9(日)
●昼 13:00-14:30L.O 15:00close
●夜 17:30-21:00L.O 21:30close
 
※店内席数が限られておりますので、夜のお席・ご予約をお勧め致します。tel/03-6240-3953
 
8/25(土)〜9/9(日)に「EVERYTHING IS A GIFT 」のワインをお召し上がりいただいたグラスワイン1杯につき200円をAL FIORE が開催しているチャリティーイベント「EVERYTHING IS A GIFT 」
H30年7月豪雨被害支援に寄付します。
(今回豪雨被害で苗木が全滅してしまった農家さんKOSYU VINYARD の岸川さんに届けられます。)
※詳しくは「ファットリア アル フィオーレ」のfbページで、ご確認お願いします。

 

 

矢沢路恵
都内数カ所の飲食店でサービスの仕事に従事した後、2014年より料理人であるパートナーの山谷知生とともに、山食堂を前店主より受け継ぐ。飲食店は生産者と消費者をつなぐ役割という考えで、全国各地に生産者をめぐる旅をしながら、日本の地域に伝わる特産を探索する。

 

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山食堂  やましょくどう yamashokudo

〒135-0022 東京都江東区三好2-11-6桜ビル1A    電話・FAX 03-6240-3953

1A SAKURA Bldg,2-11-6 MIYOSHI,KOTO,Tokyo,Japan 135-0022

Phone Number:#81 3-6240-3953

都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線 清澄白河駅下車 徒歩3分程
深川江戸資料館通り沿い・深川江戸資料館斜め向かい側交差点より五軒目

夜=17時半〜21時半(ご予約優先)不定休

Dinner 5:30pm to 9:00pm *Prioritygiven to reservation *No fixed holidays

https://www.facebook.com/yamashokudo/