NIWA MAGAZINE

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食と人 vol.7 文/矢沢路恵

食と人07

 

何度涙を流せば、この切なさは寂しさは、消えるのだろう。いくつの辛いことをのりこえたら、この想いをしなくて済むのだろう。誰にでも、そのひとにとっていちばんのものがある。それにかなうものなんて、世界中どこをさがしたって、どこにもないのだ。

 

東日本大震災の後、親戚でも友人でもない、いままで全く縁のなかった地方の女性と知り合うこととなった。2011年3月11日金曜日14時46分、私は当時働いていた都内の飲食店で仕込みをしていた。恐怖を感じるほどの突然の揺れにただ驚くことしか出来ず、皆で慌てて外へ飛び出した。しばらくして揺れが落ち着き、店のプロジェクターでニュース速報を流すと、気仙沼に津波が押し寄せる映像が流れた。知らない土地で、行ったこともない地域で、目を疑うようなことが起こっていた。

 

いますぐにでも駆けつけたいという想いと、自分の居る場所、そして日常を守らなければ何の保証もなく、金銭的にも余裕も無い、この先どうなるのかわからない不安と闘っていたのは、自分だけではないはずだ。いまは何も出来ず、ただ一歩も動けないようなもどかしさをかかえた毎日だった。

 

震災より一年後、当時帰宅困難者をいちはやく受け入れた笹塚ボウルで行われた被災地支援のイベントがあり、友人に連れられ行った私は、店と家族3人を津波で流された酒屋のおかみさんに出会う。気仙沼は港町。海のすぐそばの商店街は、いつも活気に満ちあふれていた。菅原文子さんは、来年で創業100年になるすがとよ酒店のおかみだった。地元でも愛されているその酒屋で店番をしていたときに大地震・津波に遭い、目の前で旦那さんとお義父さん、お義母さん、猫一匹が流された。

 

会場には、津波により破壊され、凄まじい状況だった当時の気仙沼の写真が飾ってあった。その中に、津波から逃れ、屋根の上で助けを求めている女性の写真があった。「ここに写っているの、私なのよ。」と言って、文子さんは話しだしてくれた。目の前で流されていってしまった家族。旦那さんは文子さんとつないでた手を離れていき、津波にのまれてしまった。もうすぐ屋根の上まで到達しようとしている波。押し寄せる津波から逃げ家の2階にある物干し台の上になんとかつかまり屋根の上へかけあがったその姿をヘリコプターに発見され、その写真が河北新報に載り、多くの方がその当時のことを知ることとなった。その一枚の写真を見ただけで、身体全てで当時の凄まじさを感じた。つぎつぎに溢れてくる涙をぐっとこらえて、おかみさんと話しをした。

 

文子さんとそのイベントで知り合ったとき、旦那さんは未だ行方不明のままだった。一年三ヶ月後、元の家があった場所の近くで全身遺体で発見され、やっと私達のもとへ帰ってきてくれたのだと、注文したお酒と一緒に当時ご丁寧にお手紙を頂戴した。(1年経っても発見されなかった旦那さんへ書いた恋文が、その年の恋文大賞に選ばれた。)

 

翌年、私の足は気仙沼へ向いていた。文子さんにもう一度会いたかった。そして、降り立ったことのない気仙沼に行ってみたかった。重たいリュックを背負い、気仙沼行きのバスに乗る。途中、陸前高田を通り、しばらく先までずっと胸をぐっーとつかまれるような気分になる。ここでしかわからない光景。海岸沿いにずっとずっと果てしなく続く、津波の爪痕だった。何もない。何キロ先まで何もない、この土地で何が起こったのか、自分の目にしっかりと焼き付けた。

 

気仙沼に到着したのは、日も暮れ夜がやってくる時間だった。津波の後で何もないところにバス停留所が転々とたっているのが不思議な光景にみえた。仮店舗のすがとよ酒店にたどり着くと、文子さんが笑顔で出迎えてくれた。明るい笑顔とやさしいその声を聞けて、ここへ会いにきてよかったと思った。

 

すがとよ酒店の店舗は全壊したが、ふたりの息子さんと仮設店舗で再建された。被災地には、津波で流された多くの店があり、震災から数年間は復興屋台・市場として、仮設の商店街がある。どの場所でも期限付きの仮設というのは心が痛むが、地域の人通しお互いに支え合っている。夜は一緒にごはん食べに行きましょうと誘っていただき、すがとよ酒店の卸先でもある「海の家」という、震災前に旅館を経営されていた方たちの、料理の美味しい居酒屋へ行った。

 

この時季は海藻が旬で、「まつも」という海苔のようなわかめのような生の海藻をポン酢でいただいた。文子さんは地元の生まれ。こどものときは、これが岩にくっついているのをよく獲りにいったという。初収穫のことを開口というそうで、この地域では二月の風物詩として初開口のまつもをあげられる。モーカ鮫の心臓を生の刺身でいただく「モーカの星」、採れたての若布をしゃぶしゃぶでいただき、どんこ(エゾイソアイナメ)のたたき、めぬけの粗汁、気仙沼の海の幸は何を食べても美味しかった。

 

イカの貝焼きを炙っていたとき、文子さんが「これ、お義父さんが好きだったんだよナ…。」と涙を流した。津波で流されたお義父さんのことを思い出して泣いていた文子さんの姿に、たまらなく私の目から涙がボロボロこぼれた。女ふたり、気仙沼の居酒屋で肩を並べて泣いた。

 

夜、気仙沼で被災した宿までおくってもらい、文子さんから一冊の本をいただいた。震災からずっと綴っていた詩を、恋文大賞の社長さんが本にしてくださったのだ。惚れ惚れする達筆な文字で、私の名前もいれていただいた。津波で亡くなった義父、義母、旦那さんへの想い、気仙沼のこれからと、家族や支えてくれた方への感謝の想い、港の見える部屋で、涙を拭いながら夜中まで読んだ。表紙には文子さんの字で「いっしょに泣いてくれてありがとう」と書いてあった。

 

本を読みきった翌朝、窓からみえる港は美しかった。この美しい場所であんな大惨事がおきたのだとは到底思えない朝だった。ホテルからほど近くの第十八共徳丸が打ち上げられた場所まで行き、たくさんの命を奪ったであろうその場所に花を手向けた。

 

文子さんに気仙沼駅まで車で送ってもらい、帰りの車中でしてくれた話。どこにでもあるような普通の暮らしをしていた街で、本当に普通の酒屋のおかみだったけど、あのたった一日だけで全てが変わってしまった。その当時、駅前の郵便局や銀行には、何ヶ月も地元市民の長蛇の列。ガソリンもない。停電も続く。知り合いの連絡先も消えてしまったので、いたるところで知り合いと再会すると、生きてたのー!とお互い抱き合って泣いて、そんな毎日だった。
震災よりすぐに店を再開したときには、全国から毎日のように酒の注文が入った。家族全員総出で発送作業に追われるほどだったが、一年経った頃から急に注文が減っていった。復興だとか支援だとか言っても、自分の足で歩き出さないと何も変わらないのだと文子さんは言う。

 

文子さんの手をぎゅっと固く握り、また来るねといって大船渡線に乗りこむ。一関までの一両しか無い電車の中は、編み物をしているおばちゃんや地元の学生、女の子を連れたおかあさん、地元のおじちゃん。普通の暮らし、普通の街。そこにある日常が、そこにある平凡がどれだけ平和なものかと、被災した方から聞く言葉はみな同じだ。この先何十年、何百年と続く、終わる事の無い日常に、大切なものはあるのだ。

 

誰かが言っていた。「与える」ではないのだと。私には、何ができるのだろうか。こんなに大きな地震があって、こんな近くでたくさんの方が亡くなり、すぐそばに当たり前にあった日常が一瞬で消えた。

 

何度涙を流せば、この切なさは寂しさは、消えるのだろう。いくつの辛いことをのりこえたら、この想いをしなくて済むのだろう。誰にでも、そのひとにとっていちばんの思い出があり、そのことを胸に生きている。それにかなうものなんて、ないのだ。あたりまえにそこにある日常を、見守っていたいと切に願う。

 

 

写真は、気仙沼の加工製造会社ケイの、さんまの佃煮。
三陸沖で獲れた新鮮なさんまに醬油、酒、砂糖、みりん、水飴、生姜、唐辛子で味付けしたもの。保存料・化学調味料等は不使用。2014モンドセレクション金賞受賞商品。すがとよ酒店、山食堂でも販売中。間もなく、気仙沼ではサンマ漁が始まる。※気仙沼港水揚げは、9月中旬の予定。海の恵みに感謝し、漁業の復興とともにかみしめる。

 

株式会社 男山本店
1912年の創業より現在まで「伏見男山」という銘柄で気仙沼を中心に販売。10年前からは気仙沼らしい「蒼天伝」という銘柄を開発し、販売している。2011年の震災では、1932年に建てられた国の登録有形文化財にもなっていた木造三階建ての本社屋(小売店舗併設)、出荷に必要な空ビンや箱などの資材を貯蔵していた倉庫が津波により全壊・流失。しかし、少し高台にあった築100年の酒蔵は門の手前数メートルのところで被害を免れ、震災翌日の3月12日から温度管理などの仕事を再開。以来、全国の皆さんの応援とともに「復興の先駆けになって欲しい」という後押しを受けながら現在まで操業を続けている。
※特別純米酒 蒼天伝は、インターナショナルワインチャレンジ2014「SAKE部門 純米酒部」二年連続金賞。爽やかでおだやかな飲み心地、旨辛口のするりとしたなめらかな舌触り。山食堂店内で、冷酒として召し上がっていただきたい。

 

すがとよ酒店
気仙沼で酒屋を営んで90余年。地元密着で商売を続けてきたが2011年3月11日の東日本大震災により店舗は全壊。残された家族で酒屋を続ける決心をし、仮設店舗で再開。「蒼天伝」や「さんまの佃煮」など、地酒とお土産品などの販売。注文も可能。震災の語り部として、当時の体験談や写真での説明なども行っている。※現状、被災地区画整理事業が進まず、かさ上げによる立ち退き、仮設から仮設への移転を繰り返している。
すがとよ酒店 魚町店(仮設店舗)
〒988-0013

宮城県気仙沼市魚町1丁目5-14
電話&FAX 0226-22-0843

 

「あなたへの恋文」菅原文子著
すがとよ酒店三代目女将、菅原文子さんが震災以前から震災当日のこと、現在に至るまでの経緯を自身の詩を交えた文章で綴った一冊。「恋文大賞」9千通の中から大賞をいただいた行方不明の夫へ宛てた手紙「あなたへ」全文掲載冊子。発売元:PHP研究所 定価:(本体1,200円+税)※山食堂店内でも販売中。

 

 

矢沢路恵
都内数カ所の飲食店でサービスの仕事に従事した後、2014年より料理人であるパートナーの山谷知生とともに、山食堂を前店主より受け継ぐ。飲食店は生産者と消費者をつなぐ役割という考えで、全国各地に生産者をめぐる旅をしながら、日本の地域に伝わる特産を探索する。

 

山食堂

山食堂
完全に家庭料理の店(海のものもございます。)

〒135-0022

東京都江東区三好2-11-6桜ビル1A

電話・FAX 03-6240-3953

都営大江戸線・半蔵門線 清澄白河駅下車 徒歩3分程 深川江戸資料館近く

昼=12時〜14時 夜=17時半〜21時 ※不定休

fbページ

https://www.facebook.com/pages/山食堂/398470866947958