NIWA MAGAZINE

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ふくしまの風

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ゆっくりと歩いて、考える。「ふくしま」。あれから、3年の月日が流れて、ようやくその地に立ってみたいと思った。自分の目、体、心を通して、何が見えてくるのか。何を感じるのか。しっかりと受け止めてみたい。そう思える瞬間が訪れるまでは、足を踏み入れてはいけないような気がしていた。

 

いわきの駅に降り立ち、赤阪友昭さんの写真展に向う。4人のアーティストによる、「ふくしま」を題材にしたそれぞれの表現した形を、福島県内で循環させるという、展示企画。企画されたのは、会津の博物館の方々だった。赤阪さんがカメラのフレームにおさめたのは、「ふくしま」の今の姿。もう人が踏み入ることの出来なくなった森。街の風景。光とやさしさに溢れる写真の数々。人間と自然の中間に位置するような、その眼差しはどこまでも深くて、切なくて、心の奥底に響くものがあった。もう、二度と元のようにはいかない。戻れないところまで、私たちは来てしまった。泣いても、叫んでも、それはもう届くことはないのだ。

 

写真に添えられた、赤阪さんのメッセージ。その中で、印象に残ったのが、南相馬の漁師さんの言葉だった。その土地がしたいようにしてあげること。海が返してほしいというのなら、返すしかない。土地には、土地の役割があるのだから、と書かれていた。相馬の海の景色を捉えた写真は、どこまでも光に溢れて、とても美しかった。

 

写真展の会場をあとにして、私は、古くからある森へと向った。そこには、大杉のある由緒ある神社と6世紀ごろ造られたという古墳がある。かつて、古墳から先は、海だったという説もあり、とても古くからある、土地の守り神のような場所なのだ。古代、いわき(岩城)は、東北への入り口のような大切な場所だったのだろう。いわきに来たからには、行かなくてはならないと、直感で感じた。

 

日曜日でバスも一本も走っていないので、仕方なくタクシーで向う。「本当はここまで歩きたかった」という私に、運転手のやさしいおじいさんは、そんな人はいないとか、それは無理だと大笑いしながら、神社の前で降ろしてくれた。「まあ、帰りも良かったら迎えにきますよ」という言葉を残して。車を降りると、とてもいい匂いがする。水が流れる音。樹々の揺らぐ音。森全体から、いい香りが漂ってくる。さすがに、落雷にあっても、まだそこに立っているという大杉を前にして、緊張はピークに達していたが、樹の前でお辞儀をして、気持ちが少し落ち着いた。誰もいない、参道と階段を一人歩き、神社で御参りをする。古いが、綺麗な神楽殿も残されていて、この神社が古くから、地域としっかりと結びついていることを実感した。

 

神社を出て、少し、道沿いに歩いたところに、田んぼの真ん中に残された古墳が、ぽつりとある。少しぬかるんだ畦道をゆっくりと歩きながら、緩やかな風が吹いてくるのを感じる。私は、涙があふれてくるのを抑えることができなかった。南相馬の漁師さんの言葉を想い出し、美しい海の情景を想い出していた。この古くから土地を守ってきたであろう、その古墳も、神社も、この地に眠る人たちも、すべてが悲しんでいる。「ふくしま」という土地を、穢してしまったということ。こんなにも美しい土地なのに。それは、まるで、自分の体が痛めつけられるような気持ちだった。でも、もう、どうすることもできないという、無念さ。それでも。自分のこととして受け止めたいと思った。もう、これ以上、「ふくしま」を、日本という美しい土地を人間が穢してはいけない。誰一人、穢してほしくない。いま、ここで起きていることを、ちゃんと見ておかなくてはいけないのだ。知らなくてはいけないのだ。もう、「なかったこと」には、決して出来ないのだから。

 

この土地に課せられた「役割」は、どこまでも重く、どこまでも深い。ここで感じること。考えること。これからを生きる私たちにとって、その「役割」を知ることは、とても大切なことなのだ。

 

2014年12月14日