NIWA MAGAZINE

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若狭

wakasa trip

 

福井県小浜。そこは、母方のルーツの場であり、私の祖母は、小浜から少し行った先にある、三方五湖という5つの湖が連なる三方で生まれ育った。昔から、水のきれいな場所としても名高く、古代信仰の名残が残る、ちょっと不思議な場所でもある。海のすぐそばということもあり、その湾では、海産物が豊富に採れ、また、その味に虜になる県外の人も多いと聞く。

 

三方、と言えば、私が思い浮かべるのは、働き者のおばあちゃんたち。実に、恐ろしいほど働くのである。そのいい例が、私の祖母で、朝5時に起床したら、真っ白くぱりっと、完璧に洗濯されたひとつない「まえかけ」を装い、一日の仕事を始める。家中の床という床は、前日のお風呂の残り湯を用いて、日々鏡のように磨かれる。以前、友人を祖母の家に招待したときに、言われたのが「あんなに、光ったトイレのタイルは見たことがない」ということ。掃除を終えると、畑仕事。自宅で食べる分だけ育て、それは、美しいぬかみそのお漬けものなどに変わる。味噌、梅干し、ありとあらゆるものをほとんどの手で自分たちで作るため、その忙しさは半端ない。以前、同じように、働き者の祖母の妹に、一日のスケジュールを聞いて、本当にたまげた。「一日でゆっくり座るのは、朝の15分。朝ドラの時間やね。朝ご飯の時間だからね〜」それから夕方の晩ご飯まで、ノンストップで働くらしい。

 

今は、もう、その祖母の姿を目にすることは出来なくなってしまったのだけれど、祖母の最愛の夫、つまり、私の祖父が亡くなったとき、祖母はものすごいショックを受けて、それから3年間の記憶がなかった、と聞く。今思えば、そうした悲しみが癒えたのも、ピカピカに床を磨き上げる「ふき掃除」にあったのかもしれないと思う。床磨きを通して、その心も磨く。信仰深かった祖母が、見出した、ひとつの「道」のようなものだったのかもしれない。いつの間にか、元気を取り戻した祖母は、様々な年代の友人をたくさん作り、小さな喜びと幸せを積み重ねて、晩年を謳歌したように思う。

 

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7月のある一日。久々に電車に揺られながら、三方の風景を眺めて、東小浜の駅で降りた。自転車を借りて、地図を一枚もらう。田んぼのあぜ道を通りながら、胸いっぱい、空気を吸い込む。私は、ぐんぐん自転車を漕ぎながら、目的の神社を目指した。「神宮寺」。奈良東大寺の二月堂に送る「お水送り」をする場所である。この夏、どうしても、この場所に来たかった。自分のルーツの場に行きたかったのだ。自分自身に立ち返りたい、そんな想いがあった。

 

草原の参道を抜けて、中に入ると、質素な茶室と本堂、そして、閼伽井戸がある。本堂の中は薄暗く、よく目をこらさないと、その美しい仏様を見ることはできない。白洲正子の『十一面観音』にも、書かれているが、本に掲載されていた当時は秘仏だったこの像も、現代では実際に拝むことができる。蝋燭だけの暗がりで眺める、この観音像は、本当に美しかった。本堂の奥に見える、鎮守の森。白く佇むその森は、「水の世界」のよう。裏の廊下に静かに座り、しばし、その風景を眺めながら、呼吸をしていると、体の中もきれいになったような心持ちがするから不思議だ。この森とこの場所は、古くから、この地域に住む人々がずっと大切に守り続けた場所。日々、きれいな水が得られること。日々そのありがたさに感謝しながら、水と森を守っている。信仰は特別なことではなく、「暮らしの中にあってこそ」と、知人のカメラマンの方が言っていたのを想い出す。

 

閼伽井戸から、こんこんと湧き出る水を口に含み、全身清々しい気持ちになる。この一帯は、古い神社がいくつも点々と存在するのだが、その手水舎のほとんどが湧き水、つまりご神水。神宮寺の手水舎も、もちろん湧き水で、透明度の高さには驚く。柔らかく、やさしく包み込んでくれるかのような印象の、優しい水。鎮守の森と同じだ、と思う。すっかり、都会で溜め込んでいたストレスからも解放されて、私は「私らしさ」を取り戻す。本当に気持ちのいい時間だった。

 

その数日後、若狭から峠を抜けた場所にある、京都の奥座敷、花背に行くことになるのだけれど、その話はまた後日。

 

 

 

2014年8月7日